新序 / 雜事第四
勇士一呼,三軍皆辟,士之誠也。昔者,楚熊渠子夜行,見寢石以為伏虎,闗弓射之,滅矢飲羽,下視,知石也。却復射之,矢摧無迹熊渠子見其誠心而金石為之開,况人心乎?唱而不和,動而不隨,中必有不全者矣。夫不降席而匡天下者,求之己也。孔子曰:「其身正,不令而行;其身不正,雖令不從。」先王之所以拱揖指揮,而四海賓者,誠徳之至,己形於外。故詩曰:「王猶允塞,徐方既來。」此之謂也。
新字:勇士一呼,三軍皆辟,士之誠也。昔者,楚熊渠子夜行,見寝石以為伏虎,関弓射之,滅矢飲羽,下視,知石也。却復射之,矢摧無迹熊渠子見其誠心而金石為之開,況人心乎?唱而不和,動而不随,中必有不全者矣。夫不降席而匡天下者,求之己也。孔子曰:「其身正,不令而行;其身不正,雖令不従。」先王之所以拱揖指揮,而四海賓者,誠徳之至,己形於外。故詩曰:「王猶允塞,徐方既来。」此之謂也。
書き下し
勇士一たび呼べば、三軍皆な辟く。士の誠なり。昔者、楚の熊渠子夜行し、寢石を見て以て伏虎と爲し、弓を關して之を射る。矢を滅し羽を飲む。下りて視るに、石なるを知る。却きて復た之を射れば、矢摧けて迹無し。熊渠子其の誠心を見わして金石之が爲に開く。况んや人心をや。唱えて和せず、動きて隨わざるは、中に必ず全からざる者有らん。夫れ席を降らずして天下を匡す者は、之を己に求むればなり。孔子曰く、其の身正しければ、令せずして行わる。其の身正しからざれば、令すと雖も從わず、と。先王の拱揖指揮して四海賓する所以の者は、誠德の至り、己に外に形わるればなり。故に詩に曰く、王猶允に塞ち、徐方既に來たる、と。此の謂いなり。
現代語訳
勇士がひとたび叫べば、全軍がみな道をあける。士の誠である。昔、楚の熊渠子が夜道を行き、横たわる石を見てうずくまる虎だと思い、弓に矢をつがえて射た。矢は見えなくなるほど入り、矢羽根まで呑み込まれた。降りて見ると、石だと分かった。退いてもう一度射ると、矢は砕けて跡もつかなかった。熊渠子がその誠の心を現すと、金属も石もそのために開いた。まして人の心はなおさらである。唱えても和されず、動いても従われないのは、内に必ず十全でないものがあるのだ。そもそも席を降りずに天下を正す者は、それを自分に求めるからである。孔子は言った。「その身が正しければ、命令しなくても行われる。その身が正しくなければ、命令しても従われない」。先王が手を組み合わせて指揮するだけで四海が服したのは、誠の徳が極まって、それが外に現れたからである。だから『詩経』に「王の道はまことに満ち、徐方はすでに来た」とある。これのことである。
解説
この章句が説くこと
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尚書・康誥今惟れ民静かならず、未だ厥の心を戾(さだ)めず、迪くこと屢々なれども未だ同じからず。爽(あき)らかに惟れ天其れ我を罰殛するも、我其れ怨みず。惟れ厥の罪大に在る無く、亦多きに在る無し、矧んや曰く其れ尚ほ顕らかに天に聞こゆるをや。」王曰く、「嗚呼(ああ)、封よ、敬めや。怨みを作すこと無く、非謀非彝を用ひて時の忱を蔽ふこと勿かれ。丕いに則ち徳に敏(つと)め、用て乃の心を康んじ、乃の徳を顧み、乃の猷を遠くし、裕かにして乃ち以て民寧からば、汝を瑕殄(かてん)せず。」王曰く、「嗚呼(ああ)、肆(つと)めよ汝小子封。
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言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
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『洗心洞箚記』卷下・第九十一條是の故に賢愚と無く、学に志せば、則ち断じて是を以て準的と為す。則ち康荘大道の上を行くの人にして、邪径曲路を踏む者に非ざるなり。而して其の成不成も亦命なるのみ。君子は命を云はず、只義を以て主と為す。則ち誠を以て準的と為す、義焉より大なるは莫し。陽明先生曰く、大学の要は、誠意のみと。此を以てなり。而して程朱居敬窮理の工も、要するに亦誠に帰するのみ。豈に他有らんや。而して其の学者静坐し、其の子陽辟して書を読み、其の勤惰を知らず、或いは冊子の上に放著して、心を治むるの工を知らず。是れ皆其の末学の弊なり。程朱の学にして安んぞ之有らんや。故に湯潜菴先生曰く、宋儒は主敬を言ふ。陽明は学者の一の敬の字を執著呆守するに過ぎて、反つて是れ不敬なるを恐る。故に人に教へて只良知を提醒せしむ。吾謂へらく、良知を昏まさざる者は、敬なり。敬の執著せざる所の者は、良知なりと。要するに誠に帰するを以て準的と為して問学すれば、則ち主敬と曰ふも亦可なり、致良知と曰ふも亦可なり。否ずんば則ち博学浩聞も、即ち門外の乞児なり。反観内省も、即ち葱嶺の髡徒なり。豈に道を学ぶと曰はんや。
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