新序 / 善謀第十
漢三年,項羽急圍漢王滎陽,漢王恐憂,與酈生謀撓楚權。酈生曰:「昔湯伐桀,封其後於杞。武王伐紂,封其後於宋。今秦無徳棄義,侵伐諸侯社稷,滅六國之後,使無立錐之地。陛下誠復立六國後,畢授印已,此君臣百姓,必皆戴陛下徳,莫不嚮風慕義,願為臣妾。徳義已行,陛下南嚮稱覇,楚必歛衽而朝。」漢王曰:「善。趣刻印,先生因行佩之矣。」酈先生未行,張良從外求謁,漢王方食,曰:「子房前,客有為我計撓楚權者。」俱以食其言告之。曰:「其於子房意如何?」良曰:「誰為陛下畫此計者?陛下事去矣。」漢王曰:「何哉?」良對曰:「臣請借前箸而籌之。」曰:「昔湯伐桀,而封其後於杞者,斯能制桀之死命也。陛下能制項籍之死命乎?」曰:「未能也。」「其不可一也。武王伐紂而封其後於宋者,斯能得紂之頭也。今陛下能得項籍之頭乎?」曰:「未能也。」「其不可二矣。武王入殷,表商容之閭,軾箕子之門,封比干之墓。今陛下能封聖人之墓,表賢人之閭,軾智者之門乎?」曰:「未能也。」「其不可三矣。發鉅橋之粟,㪚鹿臺之錢,以賜貧羸。今陛下能散府庫以賜貧羸乎?」曰:「未能也。」「其不可四矣。
新字:漢三年,項羽急囲漢王滎陽,漢王恐憂,与酈生謀撓楚権。酈生曰:「昔湯伐桀,封其後於杞。武王伐紂,封其後於宋。今秦無徳棄義,侵伐諸侯社稷,滅六国之後,使無立錐之地。陛下誠復立六国後,畢授印已,此君臣百姓,必皆戴陛下徳,莫不嚮風慕義,願為臣妾。徳義已行,陛下南嚮称覇,楚必歛衽而朝。」漢王曰:「善。趣刻印,先生因行佩之矣。」酈先生未行,張良従外求謁,漢王方食,曰:「子房前,客有為我計撓楚権者。」倶以食其言告之。曰:「其於子房意如何?」良曰:「誰為陛下画此計者?陛下事去矣。」漢王曰:「何哉?」良対曰:「臣請借前箸而籌之。」曰:「昔湯伐桀,而封其後於杞者,斯能制桀之死命也。陛下能制項籍之死命乎?」曰:「未能也。」「其不可一也。武王伐紂而封其後於宋者,斯能得紂之頭也。今陛下能得項籍之頭乎?」曰:「未能也。」「其不可二矣。武王入殷,表商容之閭,軾箕子之門,封比干之墓。今陛下能封聖人之墓,表賢人之閭,軾智者之門乎?」曰:「未能也。」「其不可三矣。発鉅橋之粟,㪚鹿台之銭,以賜貧羸。今陛下能散府庫以賜貧羸乎?」曰:「未能也。」「其不可四矣。
書き下し
漢の三年、項羽急に漢王を滎陽に圍む。漢王恐れ憂え、酈生と楚の權を撓ませんことを謀る。酈生曰く、昔湯桀を伐ち、其の後を杞に封ず。武王紂を伐ち、其の後を宋に封ず。今秦德無く義を棄て、諸侯の社稷を侵伐し、六國の後を滅ぼし、立錐の地無からしむ。陛下誠に復た六國の後を立て、畢く印を授け已らば、此の君臣百姓、必ず皆な陛下の德を戴き、風に嚮かい義を慕いて、臣妾と爲らんことを願わざる莫からん。德義已に行われ、陛下南嚮して覇と稱せば、楚必ず衽を歛めて朝せん、と。漢王曰く、善し。趣かに印を刻め。先生因りて行きて之を佩びよ、と。酈先生未だ行かず。張良外より謁を求む。漢王方に食す。曰く、子房前め。客に我が爲に楚の權を撓ますを計る者有り、と。俱に食其の言を以て之に吿ぐ。曰く、其れ子房の意に於いて如何、と。良曰く、誰か陛下の爲に此の計を畫きし者ぞ。陛下の事去らん、と。漢王曰く、何ぞや、と。良對えて曰く、臣請う前箸を借りて之を籌らん、と。曰く、昔湯桀を伐ちて其の後を杞に封ぜしは、斯れ能く桀の死命を制すればなり。陛下能く項籍の死命を制するか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる一なり。武王紂を伐ちて其の後を宋に封ぜしは、斯れ能く紂の頭を得ればなり。今陛下能く項籍の頭を得るか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる二なり。武王殷に入り、商容の閭に表し、箕子の門に軾し、比干の墓を封ず。今陛下能く聖人の墓を封じ、賢人の閭に表し、智者の門に軾するか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる三なり。鉅橋の粟を發し、鹿臺の錢を散じ、以て貧羸に賜う。今陛下能く府庫を散じて以て貧羸に賜うか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる四なり。
現代語訳
漢の三年、項羽が急に漢王を滎陽に囲んだ。漢王は恐れ憂えて、酈生と楚の権勢を弱める策を謀った。酈生は言った。「昔、湯王は桀を伐ち、その子孫を杞に封じました。武王は紂を伐ち、その子孫を宋に封じました。いま秦は徳がなく義を捨て、諸侯の社稷を侵し伐ち、六国の後を滅ぼして、錐を立てる地もなくしました。陛下がまことに六国の後を立て、ことごとく印を授け終えられれば、その君臣も民も、必ずみな陛下の徳を仰ぎ、風になびいて義を慕い、臣下となりたいと願わない者はないでしょう。徳と義が行われ、陛下が南面して覇と称されれば、楚は必ず襟を正して朝見しましょう」。漢王は言った。「よろしい。急いで印を刻め。先生はそのまま行ってこれを帯びてゆけ」。酈先生がまだ出発しないうちに、張良が外から目通りを求めた。漢王はちょうど食事中だった。「子房、前へ。客に私のために楚の権勢を弱める計を立てた者がいる」。すべて食其の言葉を告げた。「これは子房の考えではどうか」。良は言った。「誰が陛下のためにこの計を描いたのですか。陛下の事業は終わります」。漢王は「なぜだ」と言った。良は答えた。「臣にどうか目の前の箸をお借りして計らせてください」。「昔、湯王が桀を伐ってその子孫を杞に封じたのは、桀の死命を制することができたからです。陛下は項籍の死命を制することができますか」。「まだできない」。「不可の一です。武王が紂を伐ってその子孫を宋に封じたのは、紂の首を得ることができたからです。いま陛下は項籍の首を得られますか」。「まだできない」。「不可の二です。武王は殷に入り、商容の里に旌表を立て、箕子の門に車の手すりで礼をし、比干の墓を封じました。いま陛下は聖人の墓を封じ、賢人の里に旌表を立て、知者の門に礼ができますか」。「まだできない」。「不可の三です。鉅橋の粟を出し、鹿台の銭を散じて、貧しく弱い者に賜りました。いま陛下は倉庫を開いて貧しく弱い者に賜れますか」。「まだできない」。「不可の四です」。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十八扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
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『政談』諸役人職分支配を分つ事譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
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『政談』戶籍の事当時も紀州水戸にては人かへしあり、肥前なとにては出家にても他国へゆき十年かへらねは親類みな刑せらると承はる、薩摩其外九州は多くは国中の民を外へは出たさす、当時これある例なれは地頭の威勢を以て呼ひかへさんにはたやすくなるへきことなり、当時諸国の民耕作を厭ひ、米の飯を喜ひ、百姓を棄て商人になる故に衰微したる村々多きこと度々承ることなり、されは地頭のためにも実は甚だよきことなれとも、いつれも文盲なる故この合点行かす、世界は斯の如く成り下りたるなり、
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