新序 / 善謀第九
夜出見秦君曰:「秦晉圍鄭,鄭知亡矣,若亡而有益於君,敢以煩執事。鄭在晉之東,秦在晉之西,越晉而取鄭,君知其難也,焉用亡鄭以陪晉。晉,秦之隣也,隣之强,君之憂也。若舎鄭以為東道主,行李之往來,共其資糧,亦無所害。且君立晉君,晉君許君焦瑕,朝得入,而夕設版而畫界焉,君之所知也。夫晉何厭之有,既東取鄭,又欲廣其西境,不闕秦將焉取之?闕秦而利晉,願君圖之。」秦兵說,引兵而還。晉咎犯請擊之,文公曰:「不可,㣲夫人之力不能弊鄭,因人之力以弊,之不仁;失其所與,不知;以亂易整,不武。吾其還矣。」亦去鄭,圍遂解。燭之武可謂善謀,一言存鄭而安秦。鄭君不蚤用善謀,所以削國也,困而覺焉,所以得存。
新字:夜出見秦君曰:「秦晋囲鄭,鄭知亡矣,若亡而有益於君,敢以煩執事。鄭在晋之東,秦在晋之西,越晋而取鄭,君知其難也,焉用亡鄭以陪晋。晋,秦之隣也,隣之強,君之憂也。若舎鄭以為東道主,行李之往来,共其資糧,亦無所害。且君立晋君,晋君許君焦瑕,朝得入,而夕設版而画界焉,君之所知也。夫晋何厭之有,既東取鄭,又欲広其西境,不闕秦将焉取之?闕秦而利晋,願君図之。」秦兵説,引兵而還。晋咎犯請撃之,文公曰:「不可,微夫人之力不能弊鄭,因人之力以弊,之不仁;失其所与,不知;以乱易整,不武。吾其還矣。」亦去鄭,囲遂解。燭之武可謂善謀,一言存鄭而安秦。鄭君不蚤用善謀,所以削国也,困而覚焉,所以得存。
書き下し
夜出でて秦君に見えて曰く、秦晉鄭を圍む。鄭亡ぶるを知れり。若し亡びて君に益有らば、敢えて以て執事を煩わさん。鄭は晉の東に在り、秦は晉の西に在り。晉を越えて鄭を取るは、君其の難きを知るなり。焉くんぞ鄭を亡ぼして以て晉に陪するを用いん。晉は、秦の隣なり。隣の强きは、君の憂いなり。若し鄭を舍きて以て東道の主と爲さば、行李の往來、其の資糧を共にす。亦た害する所無し。且つ君晉君を立つるに、晉君君に焦・瑕を許す。朝に入るを得て、夕べに版を設けて界を畫す。君の知る所なり。夫れ晉何の厭くこと之れ有らん。既に東のかた鄭を取らば、又た其の西境を廣めんと欲す。秦を闕かずんば將に焉くにか之を取らん。秦を闕きて晉を利す。願わくは君之を圖れ、と。秦兵悅び、兵を引きて還る。晉の咎犯之を擊たんことを請う。文公曰く、不可なり。夫の人の力微かりせば鄭を弊す能わず。人の力に因りて以て之を弊すは、不仁なり。其の與する所を失うは、不知なり。亂を以て整に易うるは、不武なり。吾其れ還らん、と。亦た鄭を去り、圍遂に解く。燭之武は善謀と謂う可し。一言もて鄭を存して秦を安んず。鄭君善謀を蚤く用いざるは、國を削る所以なり。困りて焉に覺むるは、存するを得る所以なり。
現代語訳
夜に出て秦君に会って言った。「秦と晋が鄭を囲んでいます。鄭が滅ぶことは分かっております。もし滅んで君の益になるのなら、あえてお手を煩わせはしません。鄭は晋の東にあり、秦は晋の西にあります。晋を越えて鄭を取るのは、君もその難しさをご存じです。どうして鄭を滅ぼして晋に上乗せする必要がありましょう。晋は、秦の隣です。隣が強いのは、君の憂いです。もし鄭を残して東への道の宿主とすれば、使者の行き来に、物資と食糧を提供します。何の害もありません。そのうえ君が晋君を立てたとき、晋君は君に焦と瑕を約束しました。朝に都へ入ることができて、夕べには土塁を築いて境を引きました。君のご存じのことです。そもそも晋にどれほどの飽きがありましょう。東で鄭を取れば、また西の境を広げようとします。秦を削らずにどこから取るでしょう。秦を削って晋を利するのです。どうか君、お考えください」。秦の兵は喜び、兵を引いて帰った。晋の咎犯はこれを撃つことを願い出た。文公は言った。「いけない。あの人の力がなければ鄭を疲れさせることはできなかった。人の力によっておいてこれを疲れさせるのは、仁ではない。味方を失うのは、知ではない。乱をもって整いに代えるのは、武ではない。私は帰ろう」。同じく鄭を去り、包囲はそのまま解けた。燭之武はよく謀ったというべきである。一言で鄭を残し秦を安んじた。鄭君が優れた謀を早く用いなかったのは、国を削った理由である。困ってそこで目が覚めたのは、生き延びられた理由である。
解説
この章句が説くこと
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説苑・奉使齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
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『韓非子』說林上二十二君之に与へて以て智伯を驕らしむるに如かず。且つ君何ぞ天下を以て智氏を図るを釈てて、独り吾が国を以て智氏の質と為すや」と。君曰く、「善し」と。乃ち之に万戸の邑を与ふ。智伯大いに悦び、因りて地を趙に索む、与へず、因りて晋陽を囲む。韓・魏之に外に反し、趙氏之に内に応じ、智氏以て亡ぶ。秦の康公、台を築くこと三年。荊人兵を起こし、将に兵を以て斉を攻めんと欲す。任妄曰く、「饑は兵を召き、疾は兵を召き、労は兵を召き、乱は兵を召く。君台を築くこと三年、今荊人兵を起こして将に斉を攻めんとす、臣恐らくは其の斉を攻むるは声と為して、秦を襲ふを以て実と為さん。之に備ふるに如かず」と。東辺を戍りて、荊人行を輟む。斉、宋を攻む。宋、臧孫子をして南のかた救ひを荊に求めしむ。荊大いに説び、之を救ふことを許して甚だ勧む。臧孫子憂へて反る。其の御曰く、「救ひを索めて得たり、今子に憂色有るは何ぞや」と。臧孫子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救ひて大斉に悪まるるは、此れ人の憂ふる所以なり。而るに荊王説ぶは、必ず以て我を堅くせんとすればなり。我堅くして斉敝るるは、荊の利とする所なり」と。臧孫子乃ち帰る。斉人、五城を宋に抜きて荊の救ひ至らず。魏の文侯、道を趙に借りて中山を攻めんとし、趙の粛侯将に許さざらんとす。趙刻曰く、「君過てり。魏、中山を攻めて取ること能はずんば、則ち魏必ず罷れん。罷るれば則ち魏軽く、魏軽ければ則ち趙重し。魏、中山を抜くとも、必ず趙を越えて中山を有つこと能はざるなり。是れ兵を用ふる者は魏にして、地を得る者は趙なり。君必ず之を許せ。之を許して大いに歓べば、彼将に君の之を利とするを知りて、必ず将に行を輟めんとす。君は之に道を借して、示すに已むを得ざるを以てするに如かず」と。鴟夷子皮、田成子に事ふ。田成子、斉を去り、走りて燕に之く。鴟夷子皮、伝を負ひて従ふ。望邑に至る。子皮曰く、「子独り涸沢の蛇を聞かざるか。沢涸るれば、蛇将に徙らんとす。
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『韓非子』說林上二十二魏の恵王、臼里の盟を為し、将に復た天子を立てんとす。彭喜、鄭君に謂ひて曰く、「君聴く勿かれ。大国は天子有るを悪み、小国は之を利とす。若し君と大と聴かずんば、魏焉んぞ能く小と之を立てんや」と。晋人、邢を伐ち、斉の桓公将に之を救はんとす。鮑叔曰く、「太だ蚤し。邢亡びずんば晋敝れず、晋敝れずんば斉重からず。且つ夫れ危を持するの功は、亡を存するの徳の大なるに如かず。君晩く之を救ひて以て晋を敝らしむるに如かず、斉実に利あり。邢の亡ぶるを待ちて復た之を存せば、其の名実美なり」と。桓公乃ち救はず。子胥出走し、辺候之を得たり。子胥曰く、「上の我を索むるは、我に美珠有るを以てなり。今我已に之を亡へり。我且に子取りて之を呑めりと曰はんとす」と。候因りて之を釈す。慶封、斉に乱を為して越に走らんと欲す。其の族人曰く、「晋は近し、奚ぞ晋に之かざる」と。慶封曰く、「越は遠し、以て難を避くるに利あり」と。族人曰く、「是の心を変ずれば、晋に居るも可なり。是の心を変ぜずんば、遠き越と雖も、其れ以て安かるべけんや」と。智伯、地を魏の宣子に索む、魏の宣子予へず。任章曰く、「何の故に予へざる」と。宣子曰く、「故無くして地を請ふ、故に予へず」と。任章曰く、「故無くして地を索めば、隣国必ず恐れん。彼重欲にして厭くこと無くんば、天下必ず懼れん。君之に地を予へば、智伯必ず驕りて敵を軽んじ、隣邦必ず懼れて相親しまん。
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史記 秦本紀是に於て繆公晋君を虜にして以て帰り、国に令す、「斉宿せよ、吾将に晋君を以て上帝を祠らんとす」と。周の天子之を聞きて、曰く「晋は我が同姓なり」と、為に晋君を請ふ。夷吾の姊も亦繆公の夫人為り。夫人之を聞き、乃ち衰絰して跣し、曰く、「妾が兄弟相救ふ能はず、以て君命を辱めしむ」と。繆公曰く、「我晋君を得て以て功と為す。今天子為に請ひ、夫人是れ憂ふ」と。乃ち晋君と盟ひ、之を帰すことを許し、更めて上舎に舎せしめ、而して之に七牢を饋る。十一月、晋君夷吾を帰す。夷吾其の河西の地を献じ、太子圉をして秦に質たらしむ。秦子圉に妻はすに宗女を以てす。是の時秦の地東のかた河に至る。十八年、斉の桓公卒す。二十年、秦梁・芮を滅ぼす。二十二年、晋の公子圉晋君の病むを聞きて、曰く、「梁は、我が母の家なり。而るに秦之を滅ぼす。我兄弟多し、即し君百歳の後、秦必ず我を留めん。而して晋我を軽んじ、亦更に他子を立てん」と。子圉乃ち亡げて晋に帰る。二十三年、晋の恵公卒し、子圉立ちて君と為る。秦圉の亡げ去りしを怨み、乃ち晋の公子重耳を楚より迎へ、而して妻はすに故の子圉の妻を以てす。重耳初め謝し、後乃ち受く。繆公益礼して厚く之を遇す。二十四年春、秦人をして晋の大臣に告げしめ、重耳を入れんと欲す。晋之を許す。是に於て人をして重耳を送らしむ。二月、重耳立ちて晋君と為る。是を文公と為す。文公人をして子圉を殺さしむ。子圉は是を懐公と為す。其の秋、周の襄王の弟帯翟を以て王を伐ち、王出でて鄭に居る。二十五年、周王人をして難を晋・秦に告げしむ。秦の繆公兵を将ゐて晋の文公を助けて襄王を入れ、王の弟帯を殺す。二十八年、晋の文公楚を城濮に敗る。三十年、繆公晋の文公を助けて鄭を囲む。鄭人をして繆公に言はしめて曰く、「鄭を亡ぼして晋を厚くするは、晋に於ては得たり、而るに秦は未だ利有らず。晋の彊きは、秦の憂ひなり」と。繆公乃ち兵を罷めて帰る。晋も亦罷む。

人生を、一行の式にしてみた。
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