新序 / 雜事第五
魏文侯過段干木之閭而軾,其僕曰:「君何為軾?」曰:「此非段干木之閭乎?段干木蓋賢者也,吾安敢不軾?且吾聞段干木未嘗肯以己易寡人也,吾安敢髙之?段干木光乎徳,寡人光乎地;段干木富乎義,寡人富乎財。地不如徳,財不如義。寡人當事之者也。」遂致禄百萬,而時往問之,國人皆喜,相與誦之曰:「吾君好正,段干木之敬;吾君好忠,段干木之隆。」居無幾何,秦興兵欲攻魏,司馬唐且諫秦君曰:「段干木,賢者也,而魏禮之,天下莫不聞,無乃不可加兵乎?」秦君以為然,乃案兵而輟,不攻魏。文侯可謂善用兵矣。夫君子善用兵也,不見其形,而攻已成,其此之謂也。野人之用兵,皷聲則似雷,號呼則動地塵氣充天,流矢如雨。扶傷舉死,履腸涉血,無罪之民,其死者已量於澤矣,而國之存亡,主之死生,猶未可知也,其離仁義亦逺矣。
新字:魏文侯過段干木之閭而軾,其僕曰:「君何為軾?」曰:「此非段干木之閭乎?段干木蓋賢者也,吾安敢不軾?且吾聞段干木未嘗肯以己易寡人也,吾安敢高之?段干木光乎徳,寡人光乎地;段干木富乎義,寡人富乎財。地不如徳,財不如義。寡人当事之者也。」遂致禄百万,而時往問之,国人皆喜,相与誦之曰:「吾君好正,段干木之敬;吾君好忠,段干木之隆。」居無幾何,秦興兵欲攻魏,司馬唐且諫秦君曰:「段干木,賢者也,而魏礼之,天下莫不聞,無乃不可加兵乎?」秦君以為然,乃案兵而輟,不攻魏。文侯可謂善用兵矣。夫君子善用兵也,不見其形,而攻已成,其此之謂也。野人之用兵,皷声則似雷,号呼則動地塵気充天,流矢如雨。扶傷舉死,履腸渉血,無罪之民,其死者已量於沢矣,而国之存亡,主之死生,猶未可知也,其離仁義亦遠矣。
書き下し
魏の文侯段干木の閭を過ぎて軾す。其の僕曰く、君何爲れぞ軾する、と。曰く、此れ段干木の閭に非ずや。段干木は蓋し賢者なり。吾安んぞ敢えて軾せざらんや。且つ吾聞く、段干木未だ嘗て肯えて己を以て寡人に易えざるなり、と。吾安んぞ敢えて之を高しとせんや。段干木は德に光り、寡人は地に光る。段干木は義に富み、寡人は財に富む。地は德に如かず、財は義に如かず。寡人當に之に事うべき者なり、と。遂に祿百萬を致し、而して時に往きて之を問う。國人皆な喜び、相い與に之を誦して曰く、吾が君正しきを好む、段干木の敬なり。吾が君忠を好む、段干木の隆なり、と。居ること幾何も無く、秦兵を興して魏を攻めんと欲す。司馬唐且秦君に諫めて曰く、段干木は、賢者なり。而して魏之を禮す。天下聞かざる莫し。乃ち兵を加う可からざる無からんや、と。秦君以て然りと爲し、乃ち兵を案じて輟め、魏を攻めず。文侯善く兵を用うと謂う可し。夫れ君子の善く兵を用うるや、其の形を見わさずして、攻め已に成る。其れ此の謂いなり。野人の兵を用うるや、鼓聲は則ち雷に似、號呼は則ち地を動かし、塵氣天に充ち、流矢雨の如し。傷を扶け死を舉げ、腸を履み血を渉る。無罪の民、其の死する者已に澤に量る。而して國の存亡、主の死生、猶お未だ知る可からざるなり。其の仁義を離るることも亦た遠し。
現代語訳
魏の文侯が段干木の住む里を通り過ぎるときに、車上で礼をした。御者は言った。「君はどうして礼をなさるのですか」。言った。「ここは段干木の里ではないか。段干木は賢者である。私がどうして礼をしないでいられよう。そのうえ私はこう聞いている、段干木はいまだかつて自分の身を私と取り替えようとはしない、と。私がどうして自分を高いと言えようか。段干木は徳に輝き、私は領地に輝く。段干木は義に富み、私は財に富む。領地は徳に及ばず、財は義に及ばない。私はこの人に仕えるべき者である」。そこで百万の禄を届け、時々出向いて安否を尋ねた。国の人はみな喜び、こぞってこれを口ずさんだ。「わが君は正しさを好む、段干木を敬うからだ。わが君は忠を好む、段干木を厚遇するからだ」。いくらもたたないうちに、秦が兵を興して魏を攻めようとした。司馬の唐且が秦君に諫めて言った。「段干木は賢者です。そして魏はこれを礼遇しています。天下で聞かない者はありません。兵を加えるべきではないのではありませんか」。秦君はもっともだとして、兵を押さえてやめ、魏を攻めなかった。文侯は兵をよく用いたと言うべきである。そもそも君子が兵をよく用いるというのは、その形を見せずに、攻めがすでに成っていることだ。まさにこれのことである。野卑な者の兵の用い方は、太鼓の音は雷のようで、叫び声は地を動かし、砂ぼこりは天に満ち、飛ぶ矢は雨のようだ。傷ついた者を支え死んだ者を運び、腸を踏み血を渡る。罪のない民で、その死んだ者はすでに沢に満ちるほどである。それでいて国の存亡、主の生死は、まだ分からない。仁義から離れていることも、また遠い。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
呂氏春秋・期賢③魏の文侯、段干木の閭を過ぎて之に軾す。其の僕曰く、「君胡為れぞ軾す。」曰く、「此れ段干木の閭に非ずや。段干木は蓋し賢者なり。吾、安くんぞ敢て軾せざらん。且つ吾聞く、段干木は未だ嘗て肯えて己を以て寡人に易えざるなり、と。吾安くんぞ敢て之に驕らん。段干木は德に光き、寡人は地に光き、段干木は義に富み、寡人は財に富む。」其の僕曰く、「然らば則ち君何ぞ之を相とせざる。」是に於て君、之に相たらんことを請う。段干木肯てえ受けず。則ち君乃ち祿百萬を致し、而して時に往き之に館す。是に於て國人皆喜び、相與に之を誦して曰く、「吾が君は正を好み、段干木を之れ敬す。吾が君は忠を好み、段干木を之れ隆ぶ。」居ること幾何も無く、秦、兵を興して魏を攻めんと欲す。司馬唐、秦君を諫めて曰く、「段干木は賢者なり。而して魏は之を禮す。天下聞かざるは莫し。乃ち兵を加う可からざること無からんか。」秦君以て然りと為し、乃ち兵を按じ輟めて敢て之を攻めず。魏の文侯、善く兵を用いたりと謂う可し。嘗て聞く、君子の兵を用うるや、其の形を見わすこと莫くして、其の功已に成る、と。其れ此を之れ謂うなり。野人の兵を用うるや、鼓聲は則ち雷に似、號呼は則ち地を動かし、塵氣天に充ち、流矢雨の如く、傷を扶け死を輿し、腸を履み血を渉る。無罪の民、其の死する者、澤に量つ。而して國の存亡、主の死生は猶ほ知る可からざるなり。其の仁義を離るること亦た遠し。
-
史記 魏世家文侯子夏に経藝を受け、段干木を客とし、其の閭を過ぐるに、未だ嘗て軾せずんばあらず。秦嘗て魏を伐たんと欲す、或いは曰く、「魏君賢人是れ礼す、国人仁と称す、上下和合す、未だ図る可からず」と。文侯此に由りて誉を諸侯に得たり。
-
呂氏春秋・下賢⑥魏の文侯、段干木を見るや、立ちて倦めども敢て息わず。反りて翟黄を見れば、堂に踞して之と言う。翟黄説ばず。文侯曰く、「段干木は之を官せんとすれば則ち肯ぜず。之に祿せんとすれば則ち受けず。今女は官を欲すれば則ち相位たり、祿を欲すれば則ち上卿たり。既に吾が實を受け、又吾が禮を責むるは、乃ち難きこと無からんか。」故に賢主の人を畜うや、實を受くるを肯ぜざる者は其れ之を禮す。士を禮するは欲を節するよりも高きは莫し。欲節すれば則ち令行わる。文侯は士を禮するを好むと謂う可し。士を禮するを好む、故に南のかた荊に連隄に勝ち、東のかた齊に長城に勝ち、齊侯を虜として、諸を天子に獻ず。天子、文侯を賞するに上卿を以てす。
-
説苑・尊賢魏の文侯段干木を見るに、立ちて倦むも敢えて息わず。翟璜を見るに及びて、堂に踞して之と言う、翟璜説ばず。文侯曰く、「段干木は、之を官せんとすれば肯んぜず、之を禄せんとすれば受けず。今汝は官を欲すれば則ち相に至り、禄を欲すれば則ち上卿たり。既に吾が賞を受けて、又吾が礼を責む、乃ち難からずや」と。
-
『新序』雜事第三昔者、秦と魏と與國爲り。齊楚約して魏を攻めんと欲す。魏人をして救いを秦に求めしむ。冠蓋相望むも、秦の救い出でず。魏人に唐且なる者有り、年九十餘。魏王に謂いて曰く、老臣請う、西のかた秦に説き、兵をして臣に先んじて出でしめん。可ならんか、と。魏王曰く、敬んで諾す、と。遂に車を約して之を遣る。且秦王に見ゆ。秦王曰く、丈人罔然として乃ち遠く此に至る。甚だ苦しめり。魏の來たりて救いを求むること數ミなり。寡人魏の急を知れり、と。唐且答えて曰く、大王已に魏の急を知りて救い至らざるは、是れ大王の籌策の臣之を失えるなり。且つ夫れ魏は一萬乘の國なり。東藩と稱し、冠帶を受け、春秋を祠るは、秦の強を爲して、以て與を爲すに足ればなり。今齊楚の兵已に魏の郊に在り。大王の救い至らずんば、魏急なれば則ち且に地を割きて齊楚と約せんとす。王之を救わんと欲すと雖も、豈に及ぶ有らんや。是れ一萬乘の魏を亡して、二敵の齊楚を強くするなり。竊かに以爲えらく、大王の籌策の臣之を失えりと、と。秦王懼然として悟り、遽かに兵を發して之を救う。馳鶩して往く。齊楚之を聞き、兵を引きて去る。魏氏故に復す。唐且一たび説きて、彊秦の策を定め、魏國の患いを解き、齊楚の兵を散ず。一擧にして衝を折き難を消す。辭の功なり。孔子曰く、言語には宰我・子貢、と。故に詩に曰く、辭の集まれば、民之れ洽う。辭の懌べば、民之れ莫んず、と。唐且辭有り、魏國之に賴る。故に已む可からざるなり。
-
説苑・尊賢魏の文侯、中山より安邑に奔命す。田子方之に従う。夫子撃(太子撃)之に過ぐるに、車を下りて趨る。子方坐乗すること故の如し。太子に告げて曰く、「我が為に君に請え、我が朝歌するを待て」と。太子説ばず、因りて子方の為に曰く、「貧窮なる者の人に驕るを識らざるか、富貴なる者の人に驕るをや」と。子方曰く、「貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや。人主人に驕りて其の国を亡ぼす、吾未だ国を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。大夫人に驕りて其の家を亡ぼす、吾未だ家を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。貧窮なる者若し意を得ずんば、履を納れて去る、安くに往くとして貧窮を得ざらんや。貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや」と。太子及び文侯、田子方の語を道う。文侯歎じて曰く、「吾が子の故に非ずんば、吾安んぞ賢人の言を聞くを得んや。吾子方に下るに行を以てし、得て之を友とせり。吾子方を友としてより、君臣益々親しみ、百姓益々附す、吾是を以て士を友とするの功を得たり。我中山を伐たんと欲するに、吾武を以て楽羊に下る、三年にして中山我に献ぜらる、我是を以て武を有つの功を得たり。吾此に少しく進む所以の者は、吾未だ智を以て我に驕る者を見ざればなり。若し智を以て我に驕る者を得ば、豈古の人に及ばざらんや」と。