新序 / 雜事第四
晉平公問於叔向曰:「昔者齊桓公九合諸侯,一匡天下,不識其君之力乎?其臣之力乎?」叔向對曰:「管仲善制割,隰朋善削縫,賔胥無善純縁桓公知衣而已。亦其臣之力也。」師曠侍曰:「臣請譬之以五味,管仲善斷割之,隰朋善煎熬之,賔胥無善齊和之。羮以熟矣,奉而進之,而君不食,誰能彊之,亦君之力也。」
新字:晉平公問於叔向曰:「昔者斉桓公九合諸侯,一匡天下,不識其君之力乎?其臣之力乎?」叔向対曰:「管仲善制割,隰朋善削縫,賔胥無善純縁桓公知衣而已。亦其臣之力也。」師曠侍曰:「臣請譬之以五味,管仲善断割之,隰朋善煎熬之,賔胥無善斉和之。羹以熟矣,奉而進之,而君不食,誰能彊之,亦君之力也。」
書き下し
晉の平公叔向に問いて曰く、昔者齊の桓公九たび諸侯を合わせ、一たび天下を匡す。識らず、其の君の力か、其の臣の力か、と。叔向對えて曰く、管仲は善く制割し、隰朋は善く削縫し、賓胥無は善く純縁す。桓公は衣を知るのみ。亦た其の臣の力なり、と。師曠侍して曰く、臣請う、之を譬うるに五味を以てせん。管仲は善く之を斷割し、隰朋は善く之を煎熬し、賓胥無は善く之を齊和す。羹以て熟せり。奉じて之を進むるも、而も君食らわずんば、誰か能く之を強いん。亦た君の力なり、と。
現代語訳
晋の平公が叔向に問うた。「昔、斉の桓公は九度諸侯を集め、ひとたび天下を正した。それは君の力だろうか、臣の力だろうか」。叔向は答えた。「管仲は裁つのが上手く、隰朋は削り縫うのが上手く、賓胥無は縁を取るのが上手かった。桓公は衣を知っていただけです。やはりその臣の力です」。師曠がそばにいて言った。「臣にどうか、これを五つの味にたとえさせてください。管仲は切り分けるのが上手く、隰朋は煮るのが上手く、賓胥無は味を調えるのが上手かった。羹はできあがりました。捧げてこれを差し出しても、君が食べなければ、誰がそれを強いることができましょう。やはり君の力です」。
解説
同じ問いに、二人が同じ喩えの型で答え、結論だけが逆になります。片方は衣を作る工程を分けました。裁つ、縫う、縁を取る。桓公は衣を知っていただけです。もう片方は料理の工程です。切る、煮る、調える。ここまでは同じ。違いは最後の一手を数えるかどうかでした。捧げてこれを差し出しても、君が食べなければ、誰がそれを強いることができましょう。受け取るという行為も仕事のうちだ、という反論です。
この章句が説くこと
昔者斉の桓公九たび諸侯を合わせ一たび天下を匡す識らず其の君の力か其の臣の力か管仲は善く制割し隰朋は善く削縫し賓胥無は善く純縁す桓公は衣を知るのみ羹以て熟せり奉じて之を進むるも而も君食らわずんば誰か能く之を強いん亦た君の力なり功分業
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