新序 / 善謀第九
秦既解圍邯鄲,而趙王入朝,使趙郝約事於秦,割六縣而構。虞卿謂趙王曰:「秦之攻王也,倦而歸乎?亡其力尚能進之,愛王而不攻乎?」王曰:「秦之攻我也,不遺餘力矣,必以倦歸也。」虞卿曰:「秦以其力攻其所不能取,倦而歸,王又攻其力之所不能取以送之,是助秦自攻也。來年秦復攻王,王無救矣。」王以虞卿之言告趙郝,曰:「虞卿能量秦力之所至乎?誠知秦力之所不進,此彈丸之地不予,令秦來年復攻於王,王得無割其内而構乎?」王曰:「請聽子割矣,子能必來年秦之不復攻乎?」趙郝曰:「此非臣所敢任也。他日三晉之交於秦相若也,今秦善韓、魏而攻王,王之所以事秦者,必不如韓魏也。今臣之為足下解負親之攻,開闗通幣齊交韓、魏,至來年而獨取攻於秦,王之所以事秦,必在韓、魏之後也,此非臣之所敢任也。」
新字:秦既解囲邯鄲,而趙王入朝,使趙郝約事於秦,割六県而構。虞卿謂趙王曰:「秦之攻王也,倦而帰乎?亡其力尚能進之,愛王而不攻乎?」王曰:「秦之攻我也,不遺余力矣,必以倦帰也。」虞卿曰:「秦以其力攻其所不能取,倦而帰,王又攻其力之所不能取以送之,是助秦自攻也。来年秦復攻王,王無救矣。」王以虞卿之言告趙郝,曰:「虞卿能量秦力之所至乎?誠知秦力之所不進,此弾丸之地不予,令秦来年復攻於王,王得無割其内而構乎?」王曰:「請聴子割矣,子能必来年秦之不復攻乎?」趙郝曰:「此非臣所敢任也。他日三晋之交於秦相若也,今秦善韓、魏而攻王,王之所以事秦者,必不如韓魏也。今臣之為足下解負親之攻,開関通幣斉交韓、魏,至来年而独取攻於秦,王之所以事秦,必在韓、魏之後也,此非臣之所敢任也。」
書き下し
秦既に邯鄲の圍を解く。而して趙王入朝す。趙郝をして事を秦に約せしめ、六縣を割きて構す。虞卿趙王に謂いて曰く、秦の王を攻むるや、倦みて歸れるか。亡や其の力尚お能く之を進むるも、王を愛して攻めざるか、と。王曰く、秦の我を攻むるや、餘力を遺さざるなり。必ず倦みて以て歸れるなり、と。虞卿曰く、秦其の力を以て其の取る能わざる所を攻め、倦みて歸る。王又た其の力の取る能わざる所を攻めて以て之を送る。是れ秦を助けて自ら攻むるなり。來年秦復た王を攻めば、王救い無からん、と。王虞卿の言を以て趙郝に吿ぐ。曰く、虞卿能く秦の力の至る所を量るか。誠に秦の力の進まざる所を知らば、此の彈丸の地予えざらん。秦をして來年復た王を攻めしめば、王其の内を割きて構する無きを得んや、と。王曰く、請う子に聽きて割かん。子能く必ずしも來年秦の復た攻めざらしめんか、と。趙郝曰く、此れ臣の敢えて任ずる所に非ざるなり。他日三晉の秦に交わるや相い若かりき。今秦韓・魏を善くして王を攻む。王の秦に事うる所以の者、必ず韓・魏に如かざるなり。今臣の足下の爲に負親の攻めを解き、關を開き幣を通じ齊しく韓・魏に交わる。來年に至りて獨り攻めを秦に取らば、王の秦に事うる所以、必ず韓・魏の後に在らん。此れ臣の敢えて任ずる所に非ざるなり、と。
現代語訳
秦が邯鄲の包囲を解いた。そして趙王は入朝した。趙郝に秦との取り決めをさせ、六県を割いて講和した。虞卿は趙王に言った。「秦が王を攻めたのは、疲れて帰ったのですか。それとも力はまだ進められたのに、王を愛して攻めなかったのですか」。王は言った。「秦が私を攻めたのは、余力を残していない。必ず疲れて帰ったのだ」。虞卿は言った。「秦はその力で取れなかったところを攻め、疲れて帰った。王はまた、その力で取れなかったところを差し出して送る。それは秦を助けて自分を攻めさせることです。来年秦がまた王を攻めれば、王に救いはありません」。王は虞卿の言を趙郝に告げた。趙郝は言った。「虞卿は秦の力の及ぶ範囲を測れるのですか。本当に秦の力が及ばないところを知っているなら、この弾丸ほどの地も与えないでしょう。秦が来年また王を攻めたら、王は内側を割いて講和せずにいられましょうか」。王は言った。「あなたに従って割こう。あなたは来年、秦が再び攻めないことを保証できるか」。趙郝は言った。「それは臣が引き受けられることではありません。以前は三晋の秦との関わり方は同じでした。いま秦は韓・魏と善くして王を攻めています。王が秦に仕える仕方は、必ず韓・魏に及びません。いま臣があなたのために親を負う攻めを解き、関を開いて贈り物を通わせ、韓・魏と同じように交わりました。来年になって趙だけが攻められるようなら、王が秦に仕える仕方は、必ず韓・魏の後になっているのです。それは臣が引き受けられることではありません」。
解説
この章句が説くこと
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