塩鉄論 / 実業
塩鉄論(実業)の名句を、現代語訳と実践の解説つきで。全331句。
前八一年、前漢の都・長安で開かれた一つの会議の記録です。武帝が四十年にわたって続けた対匈奴戦と、その戦費を賄うために敷いた財政政策——塩・鉄・酒の専売、均輸と平準——を続けるべきか改めるべきか。全国から召された賢良・文学六十余人と、その政策の設計者である御史大夫・桑弘羊らが、朝廷で直接に論じ合いました。その記録を三十年ほど後に桓寛が六十篇に編んだのが、この書です。この書の値打ちは、勝った側の主張だけが残っていないところにあります。一段が一つの発言で、「大夫曰く」「文学曰く」が最後まで交互に続く。前の発言の比喩をそのまま拾って裏返す応酬が延々と重なり、どちらの言い分にも筋が通っていることが読んでいて分かってしまう。財政を預かる側は、辺境を守る費用は誰かが払わねばならないと言い、儒者の側は、その費用を実際に払っているのは辺境の民だけだと言う。専売は民と利を争うことだと言われれば、専売をやめれば豪族が同じ利を独占するだけだと返る。現代の経営や政策の議論とほとんど同じ形が、二千年前にすでに出そろっています。目先の利と長期の基盤、規模の経済と現場の疲弊、決まりをどこまで細かくするか、罰を重くすれば守られるのか、成果をどの時点で採点するか。「山を築くのに、あと一かごを盛らずにやめる」と続行を説く側と、「万里の遠征では、戦う前に半分以上が死ぬ」と原価を出す側(西域篇)。「備えがあれば人を制し、備えが無ければ人に制される」と言う側と、「地の利が固くなかったのではなく、守る術が無かった」と返す側(険固篇)。「法は人を刑に処せても、人を清廉にはできない」「世は法が無いことではなく、必ず行われる法が無いことを憂える」(申韓篇)。どれも、いまの会議室でそのまま使える言葉です。散不足篇には、当時の衣食住から冠婚葬祭までの贅沢がひたすら列挙されます。全六十篇のうち最も長く、章句も三十六を数えます。古の質素と今の華美を並べ続けるだけの篇ですが、前漢中期に暮らしがどう変わったかを一段ずつ数え上げた記録として、他に代わるものがありません。終わり方も独特です。最後の大論篇で大夫は答えに詰まり、両手をついたまま黙り込む。追従してきた者たちは口を開いたまま閉じられない。それでも大夫は負けを認めず、「膠でつないだ車が急に雨に遭ったようなものだ、諸君、これで散会としよう」と言って場を閉じます。続く雑論篇では、著者の桓寛が両側を一人ずつ採点しました。桑弘羊を「大儒や年季を積んだ学者でさえ解けなかった博物通士」と認めたうえで、卿相の位にありながら利という末に流れたと断じ、最も厳しい言葉は、要職にありながら袋の口を括ったように何も言わずに去った丞相へ向けています。師導では全十巻六十篇三百五十三段を三百三十一の章句に収め、底本六万三百三十六字の百パーセントを覆いました。学派は「実業」に置いています。専売と流通と財政を実務として論じる書であり、儒家の棚に入れると、大夫側の現実論まで儒家として並んでしまうからです。