塩鉄論 / 散不足篇
「古者、事生盡愛、送死盡哀。故聖人為制節、非虛加之。今生不能致其愛敬、死以奢侈相高、雖無哀戚之心、而厚葬重幣者、則稱以為孝、顯名立於世、光榮著於俗。故黎民相慕效、至於發屋賣業。
新字:「古者、事生尽愛、送死尽哀。故聖人為制節、非虚加之。今生不能致其愛敬、死以奢侈相高、雖無哀戚之心、而厚葬重幣者、則称以為孝、顕名立於世、光栄著於俗。故黎民相慕効、至於発屋売業。
書き下し
古者、生に事うるには愛を盡くし、死を送るには哀を盡くす。故に聖人之が制節を為す、虛しく之を加うるに非ざるなり。今生きては其の愛敬を致す能わず、死しては奢侈を以て相い高しとす、哀戚の心無しと雖も、而も厚葬重幣なる者は、則ち稱して以て孝と為し、顯名は世に立ち、光榮は俗に著る。故に黎民相い慕い效いて、屋を發き業を賣るに至る。
現代語訳
昔は、生きている者に仕えるには愛を尽くし、死者を送るには哀しみを尽くした。だから聖人はこれに節度の定めを設けた。むやみに飾りを加えたのではない。いまは生きているうちに愛と敬いを尽くすことができず、死んでから奢りの度合いを競い合っている。悲しみの心がなくとも、手厚く葬り高価な供物を用いた者は、孝行者だと称えられ、その名は世に知られ、その栄誉は世間に輝く。だから民は互いに羨んで真似し、ついには家を壊し家業を売り払うまでになる。
解説
散不足篇の核心にあたる一段です。ここまで並べてきた贅沢が、なぜ止まらないのかを説明しています。**悲しみの心がなくても、手厚く葬れば孝行者と称えられる**。評価されるのが心ではなく支出額だからです。しかも名は世に知られ、栄誉が世間に輝く。だから真似が広がり、家を壊し家業を売ってまで張り合う。**測れるものだけが評価されると、測れるものだけが競われる**——評価指標の設計そのものへの批判として、いまも通用します。
この章句が説くこと
生きては其の愛敬を致す能わず死しては奢侈を以て相い高しとす厚葬重幣なる者は称して孝と為す屋を発き業を売るに至る評価見栄本末
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