塩鉄論 / 本議篇
文學對曰:「竊聞治人之道、防淫佚之原、廣道德之端、抑末利而開仁義、毋示以利、然後教化可興、而風俗可移也。今郡國有鹽、鐵、酒榷、均輸、與民爭利。散敦厚之樸、成貪鄙之化。是以百姓就本者寡、趨末者眾。夫文繁則質衰、末盛則質虧。末修則民淫、本修則民愨。民愨則財用足、民侈則饑寒生。願罷鹽、鐵、酒榷、均輸、所以進本退末、廣利農業、便也。」
新字:文学対曰:「窃聞治人之道、防淫佚之原、広道徳之端、抑末利而開仁義、毋示以利、然後教化可興、而風俗可移也。今郡国有塩、鉄、酒榷、均輸、与民争利。散敦厚之樸、成貪鄙之化。是以百姓就本者寡、趨末者衆。夫文繁則質衰、末盛則質虧。末修則民淫、本修則民愨。民愨則財用足、民侈則饑寒生。願罷塩、鉄、酒榷、均輸、所以進本退末、広利農業、便也。」
書き下し
文學對えて曰く、竊かに聞く、人を治むるの道は、淫佚の原を防ぎ、道德の端を廣め、末利を抑えて仁義を開き、示すに利を以てする毋かれ、然る後に教化興るべくして、風俗移すべきなり、と。今郡國に鹽・鐵・酒榷・均輸有り、民と利を爭う。敦厚の樸を散じ、貪鄙の化を成す。是を以て百姓の本に就く者は寡く、末に趨る者は眾し。夫れ文繁なれば則ち質衰え、末盛んなれば則ち質虧く。末修まれば則ち民淫し、本修まれば則ち民愨なり。民愨なれば則ち財用足り、民侈なれば則ち饑寒生ず。願わくは鹽・鐵・酒榷・均輸を罷めん。本に進み末を退け、廣く農業を利する所以にして、便なり、と。
現代語訳
文学の士が答えて言った。「私はこう聞いております。人を治める道とは、みだらさの源を防ぎ、道徳の糸口を広げ、末端の利益を抑えて仁義を開き、利益を示さないようにする。そうしてはじめて教化が興り、風俗が改まるのだ、と。いま各郡国に塩・鉄・酒の専売と均輸があり、民と利を争っております。素朴で情の厚い気風を散らし、貪欲で卑しい風潮を作っている。そのため民で本業に就く者は少なく、末業に走る者が多い。そもそも飾りが繁くなれば質は衰え、末が盛んになれば本質が欠ける。末が栄えれば民は浮つき、本が正されれば民は誠実になる。民が誠実であれば財は足り、民が奢れば飢えと寒さが生じます。どうか塩・鉄・酒の専売と均輸を廃止していただきたい。本に進み末を退け、広く農業を利するもので、それが便です」
解説
この章句が説くこと
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『塩鉄論』本議篇文學曰く、夫れ民を導くに德を以てすれば則ち民は厚きに歸し、民に示すに利を以てすれば、則ち民俗薄し。俗薄ければ則ち義に背きて利に趨り、利に趨れば則ち百姓は道に交わりて市に接す。老子曰く、貧國は餘り有るが若し、と。財多きに非ざるなり、嗜欲眾くして民躁がしければなり。是を以て王者は本を崇び末を退け、禮義を以て民欲を防ぎ、菽粟貨財を實たす。市は、商は無用の物を通ぜず、工は無用の器を作らず。故に商は郁滯を通ずる所以、工は器械を備うる所以にして、治國の本務に非ざるなり、と。
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『春秋左氏伝』昭公五年 是れ儀なり、礼に非ず楚子屈申を以て吳に貳すと為し、乃ち之を殺す。屈生を以て莫敖と為し、令尹子蕩と晉に如きて女を逆へしむ。鄭を過ぐ。鄭伯子蕩を氾に勞ひ、屈生を菟氏に勞ふ。晉侯女を邢丘に送る。子產鄭伯に相として、晉侯に邢丘に會す。公晉に如く。郊勞より贈賄に至るまで、禮を失ふこと無し。晉侯女叔齊に謂ひて曰く、「魯侯亦た禮に善からずや」と。對へて曰く、「魯侯焉んぞ禮を知らん」と。公曰く、「何為れぞ。郊勞より贈賄に至るまで、禮違ふ者無し。何の故に知らずとする」と。對へて曰く、「是れ儀なり、禮と謂ふべからず。禮は其の國を守り、其の政令を行ひ、其の民を失ふこと無き所以の者なり。今政令は家に在りて、取る能はず。子家羈有りて、用ゐる能はず。大國の盟を奸し、小國を陵虐す。人の難を利として、其の私を知らず。公室四分し、民は他に食む。思ひ公に在る莫く、其の終はりを圖らず。國君と為りて、難將に身に及ばんとするに、其の所を恤へず。禮の本末、將に此に於いてか在らんとす。而るに屑屑焉として儀を習ひて以て亟(すみ)やかなり。禮に善しと言ふは、亦た遠からずや」と。君子謂ふ、叔侯是に於いてか禮を知れりと。
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『武訓』上・第1段武に本末あり。忠孝義勇は、兵法の本なり。武德なり。節制謀略は、兵法なり。節制とは、人數をくばり、兵を行る道、是、いはゆる軍法なり。弓矢劔戟等の兵器の術は、兵法の末なり。武藝なり。本末ともにそなはるをよしとす。武藝は、兵法を本とし、兵法は、仁義を本とす。此の三の品あることをしりて、其の序をわかち、其の輕重を知るべし。三の者かぬることを得ずんば、忠孝義理の武德をはげむべし。武藝をしらざる人も、忠孝義理の勇あれば、戰功を立て、武名を得る人多し。武藝に達すとも、忠義なき臆病人ならば、戰功を立て武名をとることかたかるべし。君子は本をつとむ。本立ちて道生るとは、是なり。武藝は、まことに學ぶべくして、すつべからずといへど、必、武德を本として、つとめはげますべし。輕重本末あることをしるべし。又、忠義と剛勇とも、本末あり。程子曰、人必有仁義之心、而後有仁義之氣。仁義の心は、本なり。剛勇は、仁義の氣なり。末なり。仁義の心あれば、勇氣は、おのづから出てくるなり。仁義なくして武勇を好めば、大人は亂をおこし、小人は盜賊となる。
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『春秋左氏伝』桓公二年 本大にして末小惠の二十四年、晉始めて亂る。故に桓叔を曲沃に封じ、靖侯の孫欒賓之に傅たり。師服曰く、「吾聞く、國家の立つや、本大にして末小なり、是を以って能く固しと。故に天子は國を建て、諸侯は家を立て、卿は側室を置き、大夫は貳宗有り、士は隸子弟有り、庶人・工・商各々分親有り、皆等衰有り。是を以って民其の上に服事して、下に覬覦無し。今晉は、甸侯なり。而るに國を建つ。本既に弱し。其れ能く久しからんや」と。惠の三十年、晉の潘父昭侯を弒して桓叔を納れんとす、克たず。晉人孝侯を立つ。惠の四十五年、曲沃の莊伯翼を伐ち、孝侯を弒す。翼人其の弟鄂侯を立つ。鄂侯哀侯を生む。哀侯陘庭の田を侵す。陘庭の南鄙曲沃を啟きて翼を伐たしむ。
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『都鄙問答』卷之四・醫ノ志ヲ問ノ段答、博学は我も好む所なり、捨つるにあらず。然れども、医学熟して後のことなり。本末を正す時は、医学は本と知るべし。有子曰く、本立ちて道生ずと。本末の違へるは、君子の道にあらず。扠汝は、世俗の聞きなれぬことを云ふを、博学と思はれ候や。それは麁相なる了簡なり。良医は聞きなれぬことを云ふものに非ず。医書に、望聞問切と云ふことあり。先づ病人に望み、容体を見るを望と云ふ。様子を聞きて、病を知るを聞と云ふ。不審を問ひて察するを問と云ふ。脈を診て病を定むるを切と云ふ。然れば病人に望み、其の容体を観て後に、疾のことを言はせて聞き、又委細のことは、看病の者に問ひ、且つ脈を診て、我が意に合へるか合はざるかと得心して、薬を用ゆべきことなり。それに人の聞きなれぬことを云ひ、
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段答ふ、汝のいへる所は、枝葉にかかはり、文字の沙汰にて、本を失へり。君子は本をつとむと云ふ。万事に渉りてかくのごとし。先づ初学の者は、本末知るを先務とすべし。末に至りては、繁多にして分れ難し。天地有りて物を生じ、物生じて後に名あり。名有りて後、文字を加へて名を書す。文字は伏羲の後、倉頡が作ると云ふに非ずや。いまだ名も附けず、文字も無き前より天道あり。天道といへども、人有りて付けたる名なり。我が云ふ所を、名を離れて聞くべし。既に聖人は仁を本となし、老子は大道を以て仁の本となし、道と仁と名は二つなり。文字に依りて、何れが本と論議分るべきや。声も無く臭も無くして、万物の体と成る物を、暫く名づけて、乾とも天とも、道とも理とも、命とも性とも、

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