塩鉄論 / 論誹篇
丞相史曰:「堯任鯀、驩兜、得舜、禹而放殛之以其罪、而天下咸服、誅不仁也。人君用之齊民、而顏異、濟南亭長也、先帝舉而加之高位、官至上卿。狄山起布衣、為漢議臣、處舜、禹之位、執天下之中、不能以治、而反坐訕上、故驩兜之誅加而刑戮至焉。賢者受賞而不肖者被刑、固其然也。文學又何怪焉?」
新字:丞相史曰:「堯任鯀、驩兜、得舜、禹而放殛之以其罪、而天下咸服、誅不仁也。人君用之斉民、而顏異、済南亭長也、先帝舉而加之高位、官至上卿。狄山起布衣、為漢議臣、処舜、禹之位、執天下之中、不能以治、而反坐訕上、故驩兜之誅加而刑戮至焉。賢者受賞而不肖者被刑、固其然也。文学又何怪焉?」
書き下し
丞相史曰く、堯は鯀・驩兜を任ずるも、舜・禹を得て之を放殛するに其の罪を以てす、而して天下咸な服す、不仁を誅すればなり。人君之を齊民に用う、而して顏異は濟南の亭長なり、先帝舉げて之に高位を加え、官は上卿に至る。狄山は布衣より起こり、漢の議臣と為り、舜・禹の位に處り、天下の中を執る、以て治むる能わずして、反って上を訕るに坐す、故に驩兜の誅加わりて刑戮至れり。賢者は賞を受けて不肖者は刑を被る、固より其れ然るなり。文學又た何ぞ怪しまんや。
現代語訳
丞相史が言った。「堯は鯀と驩兜を任用したが、舜と禹を得てから、その罪によって彼らを追放し誅した。それで天下はみな服した。不仁を誅したからである。君主は普通の民の中からも人を用いる。顔異はもと済南の亭長だった。先帝が挙げて高い位を与え、官は上卿にまで至った。狄山は無位の身から起こって漢の議政の臣となり、舜や禹の位に就いて天下の要を握った。それでいて治めることができず、逆に上をそしった罪に問われた。だから驩兜と同じ誅が加えられ、刑戮に至ったのだ。賢者が賞を受け、不肖の者が刑を受ける。もとよりそういうものである。文学は何を不思議がっているのか」
解説
登用の実例で返しました。顔異は地方の亭長から上卿になり、狄山は無位から議政の臣になった。**出自で差別していない、機会は与えている**、と。そのうえで、狄山が刑を受けたのは治められなかったうえに上をそしったからだ、と結ぶ。機会の平等を示して、結果責任に持ち込む形です。筋は通っています。ただし、この論法では「批判した」ことと「治められなかった」ことが一つに束ねられている。そこが次の段の争点になります。
この章句が説くこと
賢者は賞を受けて不肖者は刑を被る布衣より起こりて上を訕るに坐す不仁を誅す評価実績処分
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