塩鉄論 / 毀學篇
文學曰:「君子懷德、小人懷土。賢士徇名、貪夫死利。李斯貪其所欲、致其所惡。孫叔敖早見於未萌、三去相而不悔、非樂卑賤而惡重祿也、慮患遠而避害謹也。夫郊祭之牛、養食年、衣之文繡、以入廟堂、太宰執其鸞刀、以啟其毛、方此之時、願任重而上峻阪、不可得也。商鞅困於彭池、吳起之伏王屍、願被布褐而處窮鄙之蒿廬、不可得也。李斯相秦、席天下之勢、誌小萬乘、及其囚於囹圄、車裂於雲陽之市、亦願負薪入東門、行上蔡曲街徑、不可得也。蘇秦、吳起以權勢自殺、商鞅、李斯以尊重自滅、皆貪祿慕榮以沒其身、從車百乘、曾不足以載其禍也!」
新字:文学曰:「君子懐徳、小人懐土。賢士徇名、貪夫死利。李斯貪其所欲、致其所悪。孫叔敖早見於未萌、三去相而不悔、非楽卑賤而悪重禄也、慮患遠而避害謹也。夫郊祭之牛、養食年、衣之文繍、以入廟堂、太宰執其鸞刀、以啓其毛、方此之時、願任重而上峻阪、不可得也。商鞅困於彭池、呉起之伏王屍、願被布褐而処窮鄙之蒿廬、不可得也。李斯相秦、席天下之勢、誌小万乗、及其囚於囹圄、車裂於雲陽之市、亦願負薪入東門、行上蔡曲街径、不可得也。蘇秦、呉起以権勢自殺、商鞅、李斯以尊重自滅、皆貪禄慕栄以没其身、従車百乗、曽不足以載其禍也!」
書き下し
文學曰く、君子は德を懷い、小人は土を懷う。賢士は名に徇い、貪夫は利に死す。李斯は其の欲する所を貪りて、其の惡む所を致す。孫叔敖は早く未萌に見て、三たび相を去りて悔いず、卑賤を樂しみて重祿を惡むに非ざるなり、患いを慮ること遠くして害を避くること謹めばなり。夫れ郊祭の牛は、養い食わすこと年あり、之に文繡を衣せて、以て廟堂に入る、太宰は其の鸞刀を執りて、以て其の毛を啓く、此の時に方たりて、重きに任じて峻阪に上らんことを願うも、得べからざるなり。商鞅は彭池に困しみ、吳起は王屍に伏す、布褐を被りて窮鄙の蒿廬に處らんことを願うも、得べからざるなり。李斯は秦に相たり、天下の勢に席り、志は萬乘を小とす、其の囹圄に囚われ、雲陽の市に車裂せらるるに及び、亦た薪を負いて東門に入り、上蔡の曲街の徑を行かんことを願うも、得べからざるなり。蘇秦・吳起は權勢を以て自ら殺し、商鞅・李斯は尊重を以て自ら滅ぶ、皆祿を貪り榮を慕いて以て其の身を沒す、車を從うること百乘、曾て以て其の禍を載するに足らざるなり。
現代語訳
文学が言った。「君子は徳を思い、小人は土地を思う。賢い士は名に殉じ、貪欲な者は利に死ぬ。李斯は欲しいものを貪って、最も嫌なものを招き寄せた。孫叔敖は事が起こる前に早く見抜き、三度宰相の位を去っても悔いなかった。卑しい身分が好きで厚い俸禄が嫌いだったのではない。災いを遠くまで見通し、害を避けることに慎重だったのだ。そもそも郊外の祭りに供える牛は、何年もかけて飼われ、刺繍の布を着せられて廟堂に入る。太宰が鸞の飾りのついた刀を執って、その毛をかき分ける。その時になって、重い荷を負って険しい坂を上る身に戻りたいと願っても、もう叶わない。商鞅は彭池で追い詰められ、呉起は王の遺体にすがって死んだ。粗布の服を着て辺鄙な草小屋に住みたいと願っても、もう叶わない。李斯は秦の宰相となり、天下の勢いに乗り、万乗の君主すら小さく見ていた。牢に囚われ、雲陽の市で車裂きにされるに至って、薪を背負って東門をくぐり、故郷の上蔡の曲がりくねった小道を歩きたいと願っても、もう叶わなかった。蘇秦と呉起は権勢によって自ら死に、商鞅と李斯は高い地位によって自ら滅んだ。みな俸禄を貪り栄誉を慕って、その身を沈めた。従える車が百台あっても、その禍いを載せるには到底足りない」
解説
この章句が説くこと
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『武家家訓集』毛利元就三子教訓状「二十歳から四十余年のこと」一元就事二十五年、奧元にはなれ申、至當年于今迄四十餘ヶ年、其內大浪小浪洞に、他家之弓矢いかばかり轉變に候哉、然處元就一人すべりぬけ候て、如此之儀不思議不能申候身ながら、吾等事けな氣者、とうほ手ものにても、智惠才覺人に越候者にても、又正直正路者にて人にすぐれ、神佛の御まぼりあるべき者にても、何之條にてもなく候處に、かやうにすべりぬけ候事、何之段にて候共、更身ながら不及推量候〱、然間はやく〱心安、ちと今生のらくをも仕、心靜に後生のねがひをも仕度候へ共、其段も先ならず候て不及申候〱、
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