塩鉄論 / 非鞅篇
文學曰:「善鑿者建周而不拔、善基者致高而不蹶。伊尹以堯、舜之道為殷國基、子孫紹位、百代不絕。商鞅以重刑峭法為秦國基、故二世而奪。刑既嚴峻矣、又作為相坐之法、造誹謗、增肉刑、百姓齋栗、不知所措手足也。賦斂既煩數矣、又外禁山澤之原、內設百倍之利、民無所開說容言。崇利而簡義、高力而尚功、非不廣壤進地也、然猶人之病水、益水而疾深、知其為秦開帝業、不知其為秦致亡道也。狐刺之鑿、雖公輸子不能善其枘。畚土之基、雖良匠不能成其高。譬若秋蓬被霜、遭風則零落、雖有十子產、如之何?故扁鵲不能肉白骨、微、箕不能存亡國也。」
新字:文学曰:「善鑿者建周而不抜、善基者致高而不蹶。伊尹以堯、舜之道為殷国基、子孫紹位、百代不絶。商鞅以重刑峭法為秦国基、故二世而奪。刑既厳峻矣、又作為相坐之法、造誹謗、增肉刑、百姓斎栗、不知所措手足也。賦斂既煩数矣、又外禁山沢之原、内設百倍之利、民無所開説容言。崇利而簡義、高力而尚功、非不広壤進地也、然猶人之病水、益水而疾深、知其為秦開帝業、不知其為秦致亡道也。狐刺之鑿、雖公輸子不能善其枘。畚土之基、雖良匠不能成其高。譬若秋蓬被霜、遭風則零落、雖有十子産、如之何?故扁鵲不能肉白骨、微、箕不能存亡国也。」
書き下し
文學曰く、善く鑿つ者は周を建てて拔けず、善く基する者は高きを致して蹶かず。伊尹は堯・舜の道を以て殷國の基と為す、子孫位を紹ぎ、百代絕えず。商鞅は重刑峭法を以て秦國の基と為す、故に二世にして奪わる。刑既に嚴峻なり、又た相坐の法を作為し、誹謗を造り、肉刑を增す、百姓齋栗して、手足を措く所を知らざるなり。賦斂既に煩數なり、又た外には山澤の原を禁じ、內には百倍の利を設く、民は開說容言する所無し。利を崇びて義を簡にし、力を高しとして功を尚ぶ、壤を廣め地を進めざるに非ざるなり、然れども猶お人の水に病むに、水を益して疾深きがごとし、其の秦の為に帝業を開くを知りて、其の秦の為に亡道を致すを知らざるなり。狐刺の鑿は、公輸子と雖も其の枘を善くする能わず。畚土の基は、良匠と雖も其の高きを成す能わず。譬えば秋蓬の霜を被り、風に遭えば則ち零落するがごとし、十の子產有りと雖も、之を如何せん。故に扁鵲も白骨に肉する能わず、微・箕も亡國を存する能わざるなり。
現代語訳
文学が言った。「上手に穴を穿つ者は柱を立てて抜けないようにし、上手に土台を築く者は高く積んでも崩れないようにする。伊尹は堯舜の道を殷の国の土台としたから、子孫は位を継いで百代絶えなかった。商鞅は重刑と苛烈な法を秦の国の土台としたから、二代で位を奪われた。刑罰はすでに厳しかったのに、さらに連座の法を作り、誹謗の罪を作り、肉刑を増やした。民は震え上がって手足の置きどころを知らない。取り立てはすでに煩雑なのに、さらに外は山沢の資源を禁じ、内は百倍の利を上げる仕組みを設けた。民には思いを述べる場も口をきく余地もない。利を尊んで義を粗末にし、力を高いものとして功績を尊ぶ。領土を広げなかったわけではない。だがそれは、水腫の病人に水を飲ませて病を深くするようなものだ。それが秦のために帝業を開いたことは分かっても、それが秦のために滅びの道を招いたことは分かっていない。歪んだ穴は、名工の公輸子でもほぞを合わせられない。もっこで担いだだけの土台では、名工でも高くは積めない。たとえば秋の蓬が霜に打たれて、風が来れば散ってしまうようなもので、子産が十人いてもどうにもならない。だから名医の扁鵲でも白骨に肉を付けることはできず、微子や箕子でも滅びる国を保つことはできなかったのだ」
解説
この章句が説くこと
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『政談』當時制度之なき事質素過て立てたるは必らず久しく伝らす、亦人情は文華を好むとて制度を華美過きて立て置ときは国用早く尽きて宜しからす、故に文質のほとらひをは末永く伝はるへき程を考へて宜しく立るときは其御代永く伝はることなり、上の了簡を以て立つると云ふは、当時世上にある格と云やうなる者は世の成行に引れて出来たれは、全く何の了簡もなく又末の考も無きことなり、其上下たるものゝ情は面々に己れか身の外聞のよきやうにとすれは、皆々上を僭することになりて上下の分別は立ぬなり、是れ下たるものゝ情は皆な天下世界を苦にし世話にする心はなく、唯々我か身の上はかりを思ふ故なり、故に上たる人天下世界を苦にし、世話にし、代の久しく伝りて万民の斯く安穏ならんことを計りて制度を立つることなり、是れ聖人の道にて天下国家を治むる骨髄全く礼楽に止まるは此の仔細なり、然かるに儒学の筋も末の世は聖人の本意を取失ひて礼は自然の天理なとゝ沙汰し、天地自然となる物のやうに云ふよりして当時何となく代の成行く儘に出来たる格と云ふやうなるものをも善き事のやうに覚ゆることなり、
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『政談』當時制度之なき事皆下の成行きのまゝのことにて、其上に何となく礼のやうなるもの有るようなるを、上よりも其成来りの上に時々かやうに仕まつれ箇様に仕まつるなと仰せ出されたることなれば、真の制度と云ふ物にては曽てこれなきなり、真の制度と云ふものは往古を鑑み本来を計り、畢竟世界の安穏に末永く豊かなるやうに上の了簡を以て立て置き候ことにて、往古を鑑みることは惣して人情と云ふものは、時代の変りなく古今も同しことなり、往古の聖人能く人情を知り玉ひて人情相合ふて人たるものゝ勝手よく、人情にて悪き方へ流れたがる所を知りて之を押へ玉へるすぢも、兎角古を鑑みれは明かに知らるゝことなり、又時代の違ひにて、少々增减をせねはならぬことある筋も、論語に損益する処とある通に、何もかも古を鑑とする内に備りてあり、未来を測ることは制度は其御代の伝り果てん限りは永く守るべき者なれば、兎角質素なるか善きとて質素過きて制度を立て置くときは、代の末になるほと文華になるもの故遂には制度を破ることになるによりて、
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『学問のすゝめ』十六編・心事と働きと相当すべきの論・心事と働きという二語を用いてさればこの議論と実業とは寸分も相齟齬せざるよう正しく平均せざるべからざるものなり。今、初学の人の了解に便ならしめんがため、人の心事と働きという二語を用いて、その互いに相助けて平均をなし、もって人間の益を致す所以と、この平均を失うよりして生ずるところの弊害を論ずること左のごとし。
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『墨子』備高臨臨むに連弩の車を以てす。杖は大方一方一尺、長さは城の薄厚に稱う。兩軸三輪、輪は筐中に居り、下上の筐を重ぬ。左右の旁に二植、左右に衡植有り。衡植の左右、皆な圜内、内徑四寸。左右に弩を縳るは皆な植に於いてし、鈎を以て大弩の臂の前後に至りて筐と齊し。筐の髙さ八尺、弩軸は下筐を去ること三尺五寸。連弩の機郭は銅を同じくすること一石三十斤、鹿を引くこと長奴。筐の大いさ三圍半、左右に鉤距有り、方三寸、輪の厚さ尺二寸、銅距の臂は博さ尺四寸、厚さ七寸、長さ六尺。横臂は筐外に齊しく、蚤は尺五寸、距有り、博さ六寸、厚さ三寸、長さは筐の如し。儀有り、詘勝有り、上下す可し。武を為すに重さ一石、材の大いさ五寸を以てす。矢の長さ十尺、繩を以て矢端にし、戈を射るが如くす。□を以て卷き牧む。矢は弩臂を髙くすること三尺、弩を用うるに數無く、人を出だすこと六十枚、小矢を用うるに留むる無し。十人、此の車を主る。遂に寇を具え、髙樓を為りて以て道を射、城上、答を以て矢を羅む。
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『墨子』公輸是に於いて公輸盤に見ゆ。子墨子、帶を解きて城と為し、牒を以て械と為す。公輸盤、九たび攻城の機變を設く。子墨子、九たび之を距ぐ。公輸盤の攻械、盡き、子墨子の守圉、餘り有り。公輸盤、詘して曰く、「吾れ子を距ぐ所以を知れり。吾れ言わず」と。子墨子も亦た曰く、「吾れ子の我を距ぐ所以を知れり。吾れ言わず」と。楚王、其の故を問う。子墨子曰く、「公輸子の意は、臣を殺さんと欲するに過ぎず。臣を殺さば、宋、能く守ること莫く、攻む可し。然れども臣の弟子禽滑釐等三百人、已に臣の守圉の器を持し、宋の城上に在りて楚の冦を待てり。臣を殺すと雖も、絶つこと能わざるなり」と。楚王曰く、「善いかな。吾れ請う、宋を攻むること無からん」と。
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『政談』御殿の事殿中御修理の時分心得あるへきことあり、古代は禁裡も其外も皆家をつくりきくにして間に空地多し、故に火事地震の節宜しきなり、又人数をまはすに自由なり、天子は地を踏み玉はすと云ふことは皆後代の作り事なり、中頃より家をつくりつゝけにすることに成りたり、平日は雨にぬれず往来自由なれとも、古法に違ひたること故その害も亦多し、殿中なとは皆々広大なるつくりつゝけ成る故火も消え難かるへし、又広大に作りつゝけたる故所々皆引窓にて明りを取ることなれは、火のこの防きかたかるへし、御庭少なく、大地震の節人々怪我の気遣ひなきにあらす、此等は御修理之ある時分仕方心得あるへきこと也、

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