塩鉄論 / 力耕篇
文學曰:「洪水滔天、而有禹之績、河水泛濫、而有宣房之功。商紂暴虐、而有孟津之謀、天下煩擾、而有乘羨之富。夫上古至治、民樸而貴本、安愉而寡求。當此之時、道路罕行、市朝生草。故耕不強者無以充虛、織不強者無以掩形。雖有湊會之要、陶、宛之術、無所施其巧。自古及今、不施而得報、不勞而有功者、未之有也。」
新字:文学曰:「洪水滔天、而有禹之績、河水泛濫、而有宣房之功。商紂暴虐、而有孟津之謀、天下煩擾、而有乗羨之富。夫上古至治、民樸而貴本、安愉而寡求。当此之時、道路罕行、市朝生草。故耕不強者無以充虚、織不強者無以掩形。雖有湊会之要、陶、宛之術、無所施其巧。自古及今、不施而得報、不労而有功者、未之有也。」
書き下し
文學曰く、洪水滔天して、而して禹の績有り、河水泛濫して、而して宣房の功有り。商紂暴虐にして、而して孟津の謀有り、天下煩擾して、而して乘羨の富有り。夫れ上古の至治は、民樸にして本を貴び、安愉にして求むること寡し。此の時に當たりては、道路に行くこと罕に、市朝に草生ず。故に耕して強めざる者は以て虛を充たす無く、織りて強めざる者は以て形を掩う無し。湊會の要、陶・宛の術有りと雖も、其の巧を施す所無し。古より今に及ぶまで、施さずして報を得、勞せずして功有る者は、未だ之れ有らざるなり。
現代語訳
文学が言った。「洪水が天に届くほどになったからこそ禹の功績があり、黄河が氾濫したからこそ宣房の堤の功があった。殷の紂王が暴虐だったからこそ孟津の会盟の謀があり、天下が乱れ騒いだからこそ余剰に乗じて富む者が出た。そもそも大昔のよく治まった世では、民は素朴で本業を貴び、安らかで求めるものが少なかった。その頃は道を行き交う者もまれで、市場には草が生えていた。だから耕すのに励まない者は腹を満たせず、織るのに励まない者は身を覆えなかった。人と物の集まる要所があり、陶朱公や宛の商術があったところで、その腕を振るう場がない。昔から今まで、何も差し出さずに返りを得たり、働かずに功を挙げた者は、いまだかつていない」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「梓匠・輪輿は、能く人に規矩を與うるも、人をして巧みならしむること能わず。」
-
孟子・告子章句上孟子曰く、「仁の不仁に勝つは、猶ほ水の火に勝つがごとし。今の仁を為す者は、猶ほ一杯の水を以て、一車薪の火を救うがごときなり。熄まずんば、則ち之を水は火に勝たずと謂う。此れ又不仁に與するの甚しき者なり。亦た終に必ず亡せんのみ。」
-
説苑・建本梁丘拠、晏子に謂いて曰わく、「吾死に至るまで夫子に及ばじ」と。晏子曰わく、「嬰之を聞く、為す者は常に成り、行く者は常に至ると。嬰人に異なる有るに非ざるなり、常に為して置かず、常に行きて休まざる者なり。故に及び難きなり」と。
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「堯舜は、之を性にするなり。湯武は、之を身にするなり。五霸は、之を假るなり。久しく假りて歸さずんば、惡くんぞ其の、有に非ざるを知らんや。」
-
うひ山ぶみ・第十三段いかほど学びかたよくても、怠りてつとめざれば、功はなし、又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生れつきたることなれば、力に及びがたし、
-
荀子・大略篇凡そ物は乗じて来たる有り。其の出づるに乗ずる者は、是れ其の反(かへ)りなり。