塩鉄論 / 非鞅篇
大夫曰:「淑好之人、戚施之所妒也、賢知之士、阘茸之所惡也。是以上官大夫短屈原於頃襄、公伯寮愬子路於季孫。夫商君起布衣、自魏入秦、期年而相之、革法明教、而秦人大治。故兵動而地割、兵休而國富。孝公大說、封之於、商之地方五百里、功如丘山、名傳後世。世人不能為、是以相與嫉其能而疵其功也。」
新字:大夫曰:「淑好之人、戚施之所妬也、賢知之士、阘茸之所悪也。是以上官大夫短屈原於頃襄、公伯寮愬子路於季孫。夫商君起布衣、自魏入秦、期年而相之、革法明教、而秦人大治。故兵動而地割、兵休而国富。孝公大説、封之於、商之地方五百里、功如丘山、名伝後世。世人不能為、是以相与嫉其能而疵其功也。」
書き下し
大夫曰く、淑好の人は、戚施の妒む所なり、賢知の士は、闒茸の惡む所なり。是を以て上官大夫は屈原を頃襄に短じ、公伯寮は子路を季孫に愬う。夫れ商君は布衣より起こり、魏より秦に入り、期年にして之に相たり、法を革め教を明らかにして、秦人大いに治まる。故に兵動けば地割け、兵休すれば國富む。孝公大いに說び、之を於・商の地方五百里に封ず、功は丘山の如く、名は後世に傳わる。世人は為す能わず、是を以て相い與に其の能を嫉みて其の功を疵とするなり。
現代語訳
大夫が言った。「見目よく優れた人は、醜くひがんだ者に妬まれる。賢く知恵ある士は、無能で卑しい者に憎まれる。だから上官大夫は屈原を頃襄王の前でけなし、公伯寮は子路を季孫氏に讒言した。そもそも商君は無位無官の身から起こり、魏から秦に入り、一年で宰相となった。法を改め教化を明らかにして、秦の人は大いに治まった。だから軍が動けば土地は割かれ、軍を休めれば国は富んだ。孝公は大いに喜んで、於と商の地五百里四方に封じた。功績は山のようで、名は後世に伝わっている。世間の人には同じことができない。だから寄ってたかってその才能を妬み、その功績にけちをつけるのだ」
解説
この章句が説くこと
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『酔古堂剣掃』集法・才稍〻眾を壓すれば忌心生ず才人國士は、既に不群の才を負へば、定めて不羈の行ひを負ふ。是を以て才稍〻眾を壓すれば則ち忌心生じ、行ひ稍〻時に違へば則ち側目至る。死後の聲名は、空しく墓中の骸骨を譽め、窮途に潦倒すれば、誰か宮外の蛾眉を憐れまん。
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『政談』諸役人に器量を選ふ事偖又身を蹈込みて勤むる人と見ば、上の御威光を加へ玉はねは傍輩のそねみ上役の気違ひ、是亦人情にて必す有ることなれば、其の身を踏込みたるも中途にて挫くるものなり、大久保石見守と云ふものを猿楽より御取り立て、東照宮召し使はれ大名になされ、後には遂に悪事によりて滅却したるを、東照宮の御誤りのやうに云ふ人あれども、某しなどは神慮のほど各別なることと感し奉る、其の者一器量あるものなる故、過分に御取り立てありて其の器量を押へ扣へなく働かせ玉ふこと是れ能く人を使ふ道を得玉へるなり、御出頭故に様々の悪事をも御搆ひなしと知らぬ人は申せとも左にあらず、小過を許さねば人の器量は延びぬもの故御搆ひなきことなり、其者後に大悪事仕出したるは各別のことなり、只人を使ひやう遊はされかた後の世の様なる小々なることにあらす、此の段万世の手本なるへきなり、
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『学問のすゝめ』十三編・怨望の人間に害あるを論ず・あたかも的なきに射るがごとくその状あたかも的なきに射るがごとく、当たるも巧なるにあらず、当たらざるも拙なるにあらず、まさにこれを人間外の一乾坤と言うも可なり。この有様のうちに居れば、喜怒哀楽の心情必ずその性を変じて、他の人間世界に異ならざるを得ず。たまたま朋輩に立身する者あるも、その立身の方法を学ぶに由なければ、ただこれを羨むのみ。これを羨むのあまりにはただこれを嫉むのみ。朋輩を嫉み、主人を怨望するに忙わしければ、なんぞお家のおんためを思うに遑あらん。忠信節義は表向きの挨拶のみにて、その実は畳に油をこぼしても、人の見ぬところなれば拭いもせずに捨て置く流儀となり、はなはだしきは主人の一命にかかる病の時にも、平生、朋輩の睨み合いにからまりて、思うままに看病をもなし得ざる者多し。
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