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塩鉄論 / 通有篇

文學曰:「荊、揚南有桂林之饒、內有江、湖之利、左陵陽之金、右蜀、漢之材、伐木而樹穀、燔萊而播粟、火耕而水耨、地廣而饒財、然民鮆窳偷生、好衣甘食、雖白屋草廬、歌謳鼓琴、日給月單、朝歌暮戚。趙、中山帶大河、纂四通神衢、當天下之蹊、商賈錯於路、諸侯交於道、然民淫好末、侈靡而不務本、田疇不修、男女矜飾、家無斗筲、鳴琴在室。是以楚、趙之民、均貧而寡富。宋、衛、韓、梁、好本稼穡、編戶齊民、無不家衍人給。故利在自惜、不在勢居街衢、富在儉力趣時、不在歲司羽鳩也。」

新字:文学曰:「荊、揚南有桂林之饒、内有江、湖之利、左陵陽之金、右蜀、漢之材、伐木而樹穀、燔萊而播粟、火耕而水耨、地広而饒財、然民鮆窳偷生、好衣甘食、雖白屋草廬、歌謳鼓琴、日給月単、朝歌暮戚。趙、中山帯大河、纂四通神衢、当天下之蹊、商賈錯於路、諸侯交於道、然民淫好末、侈靡而不務本、田疇不修、男女矜飾、家無斗筲、鳴琴在室。是以楚、趙之民、均貧而寡富。宋、衛、韓、梁、好本稼穡、編戸斉民、無不家衍人給。故利在自惜、不在勢居街衢、富在倹力趣時、不在歳司羽鳩也。」

書き下し

文學曰く、荊・揚は南に桂林の饒有り、內に江・湖の利有り、左に陵陽の金、右に蜀・漢の材あり、木を伐りて穀を樹え、萊を燔きて粟を播き、火耕水耨し、地廣くして財饒かなり、然れども民は鮆窳偷生して、衣を好み食を甘しとし、白屋草廬と雖も、歌謳鼓琴し、日に給して月に單く、朝に歌い暮に戚む。趙・中山は大河を帶び、四通の神衢を纂ね、天下の蹊に當たり、商賈は路に錯わり、諸侯は道に交わる、然れども民は淫して末を好み、侈靡にして本を務めず、田疇修まらず、男女は矜飾し、家に斗筲無くして、鳴琴室に在り。是を以て楚・趙の民は、均しく貧しくして富む者寡なし。宋・衛・韓・梁は、本稼穡を好み、編戶齊民、家衍か人給らざる無し。故に利は自ら惜しむに在りて、勢居街衢に在らず、富は儉力趣時に在りて、歲ごとに羽鳩を司るに在らざるなり。

現代語訳

文学が言った。「荊州・揚州は南に桂林の豊かさがあり、内には長江や湖沼の利があり、左に陵陽の金、右に蜀・漢の木材がある。木を伐って穀物を植え、草を焼いて粟を蒔き、火で焼いて水を張るだけの粗い耕作で済み、土地は広く産物は豊かだ。それなのに民は怠けてその日暮らしをし、着るものを好み食べるものを甘やかす。粗末な小屋住まいでも歌い琴を鳴らし、その日に手に入れてその月には尽き、朝は歌って夕には嘆く。趙や中山は大河を帯び、四方に通じる大道が集まり、天下の通り道に当たっていて、商人は路上ですれ違い、諸侯は道で行き交う。それなのに民は浮ついて末業を好み、贅沢をして本業に努めず、田畑は荒れ、男も女も飾り立て、家に一斗の蓄えもないのに部屋には琴が鳴っている。だから楚と趙の民は、そろって貧しく富む者が少ない。宋・衛・韓・梁は本業の農を好み、戸籍に並ぶ普通の民まで、どの家も余裕があり人は足りている。だから利は自分を慎むことにあって、要所や大通りに居ることにあるのではない。富は倹約と勤勉と時機を逃さないことにあって、その年の巡り合わせにあるのではない」

解説

大夫の立地論に、文学は実例で返しました。豊かな土地の楚も、街道の集まる趙も、民は貧しい。かえって取り立てて条件のよくない宋・衛・韓・梁のほうが、どの家も足りている。恵まれた条件が人を怠けさせる、という観察です。「家に斗筲無くして、鳴琴室に在り」——蓄えがないのに琴だけが鳴っている、という一句が効いています。豊かな環境より習慣のほうが結果を決めることがある、という主張で、資源の呪いと呼ばれる現代の議論とほとんど同じ形をしています。

この章句が説くこと

利は自ら惜しむに在り勢居に在らず富は倹力趣時に在り家に斗筲無くして鳴琴室に在り倹約勤勉習慣

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