塩鉄論 / 毀學篇
大夫曰:「夫懷枉而言正、自托於無欲而實不從、此非士之情也?昔李斯與包丘子俱事荀卿、既而李斯入秦、遂取三公、據萬乘之權以制海內、切侔伊、望、名巨泰山、而包丘子不免於甕牖蒿廬、如潦歲之蛙、口非不眾也、卒死於溝壑而已。今內無以養、外無以稱、貧賤而好義、雖言仁義、亦不足貴者也!」
新字:大夫曰:「夫懐枉而言正、自托於無欲而実不従、此非士之情也?昔李斯与包丘子倶事荀卿、既而李斯入秦、遂取三公、拠万乗之権以制海内、切侔伊、望、名巨泰山、而包丘子不免於甕牖蒿廬、如潦歳之蛙、口非不衆也、卒死於溝壑而已。今内無以養、外無以称、貧賤而好義、雖言仁義、亦不足貴者也!」
書き下し
大夫曰く、夫れ枉を懷きて正を言い、自ら無欲に托するも實は從わざるは、此れ士の情に非ずや。昔李斯と包丘子と俱に荀卿に事う、既にして李斯は秦に入り、遂に三公を取り、萬乘の權に據りて以て海內を制す、切に伊・望に侔しく、名は泰山より巨なり、而して包丘子は甕牖蒿廬を免れず、潦歲の蛙の如し、口は眾からざるに非ざるなり、卒に溝壑に死するのみ。今內に以て養う無く、外に以て稱する無く、貧賤にして義を好む、仁義を言うと雖も、亦た貴ぶに足らざる者なり。
現代語訳
大夫が言った。「そもそも心に曲がったものを抱きながら正論を語り、自分は欲がないと言いつつ実際はそのとおりでない。これこそ士の本心ではないのか。昔、李斯と包丘子はともに荀子に学んだ。やがて李斯は秦に入り、ついに三公の位に就き、万乗の権力に拠って天下を制した。伊尹や太公望にも比べられ、名は泰山より大きい。ところが包丘子は割れ甕を窓にした草小屋から出られず、長雨の年の蛙のようだった。口数が少なかったわけではない。結局は溝の中で死んだだけである。いま内には養うものがなく、外には称えられるものもなく、貧しく賤しい身で義を好んでいる。仁義を語ったところで、やはり貴ぶに足りない」
解説
この章句が説くこと
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