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塩鉄論 / 訟賢篇

文學曰:「騏驥之挽鹽車垂頭於太行之阪、屠者持刀而睨之。太公之窮困、負販於朝歌也、蓬頭相聚而笑之。當此之時、非無遠筋駿才也、非文王、伯樂莫知之賈也。子路、宰我生不逢伯樂之舉、而遇狂屠、故君子傷之、若「由不得其死然」、『天其祝予』矣。孔父累華督之難、不可謂不義。仇牧涉宋萬之禍、不可謂不賢也。」

新字:文学曰:「騏驥之挽塩車垂頭於太行之阪、屠者持刀而睨之。太公之窮困、負販於朝歌也、蓬頭相聚而笑之。当此之時、非無遠筋駿才也、非文王、伯楽莫知之賈也。子路、宰我生不逢伯楽之舉、而遇狂屠、故君子傷之、若「由不得其死然」、『天其祝予』矣。孔父累華督之難、不可謂不義。仇牧渉宋万之禍、不可謂不賢也。」

書き下し

文學曰く、騏驥の鹽車を挽きて頭を太行の阪に垂るるや、屠者は刀を持ちて之を睨む。太公の窮困して朝歌に負販するや、蓬頭相い聚まりて之を笑う。此の時に當たりて、遠筋駿才無きに非ざるなり、文王・伯樂に非ざれば之が賈を知る莫きなり。子路・宰我は生きて伯樂の舉に逢わずして、狂屠に遇う、故に君子之を傷む、『由は其の死を得ざらん、然り』の若く、『天其れ予を祝わんとす』と。孔父は華督の難に累せらる、不義と謂うべからず。仇牧は宋萬の禍に涉る、不賢と謂うべからざるなり。

現代語訳

文学が言った。「駿馬が塩の車を引いて太行山の坂道で首を垂れているとき、肉屋は刀を持ってそれを睨む。太公望が困窮して朝歌で物を担いで売っていたとき、ざんばら髪の連中が集まってそれを笑った。そのとき、遠くまで走る筋も駿馬の才もなかったのではない。文王や伯楽でなければ、その値打ちが分からなかっただけだ。子路と宰我は、生涯を通じて伯楽のような目利きの登用に出会わず、乱暴な肉屋に出会った。だから君子はそれを痛んで、子路は畳の上では死ねまい、そのとおりだった、と言い、天は私を絶とうとしているのか、と言ったのだ。孔父は華督の乱に巻き込まれたが、不義とは言えない。仇牧は宋万の禍いに遭ったが、賢くなかったとは言えない」

解説

同じ結末に、別の説明を当てました。駿馬が塩車を引いていれば、肉屋が肉として値踏みする。才能がないのではなく、値打ちの分かる者に出会わなかったのだ、と。太公望も、見出される前は笑われていました。人の評価は、その人の質だけでなく、誰の前にいるかで決まる。組織で埋もれている人を見るとき、まず問うべきは本人の能力ではなく、誰が見ているかかもしれません。

この章句が説くこと

騏驥の塩車を挽く伯楽に非ざれば之が賈を知る莫し遠筋駿才無きに非ず見識評価人材

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