塩鉄論 / 孝養篇
文學曰:「周襄王之母非無酒肉也、衣食非不如曾皙也、然而被不孝之名、以其不能事其父母也。君子重其禮、小人貪其養。夫嗟來而招之、投而與之、乞者由不取也。君子茍無其禮、雖美不食焉。故禮主人不親饋、則客不祭。是饋輕而禮重也。」
新字:文学曰:「周襄王之母非無酒肉也、衣食非不如曽皙也、然而被不孝之名、以其不能事其父母也。君子重其礼、小人貪其養。夫嗟来而招之、投而与之、乞者由不取也。君子茍無其礼、雖美不食焉。故礼主人不親饋、則客不祭。是饋軽而礼重也。」
書き下し
文學曰く、周の襄王の母は酒肉無きに非ざるなり、衣食は曾晳に如かざるに非ず、然り而して不孝の名を被る、其の父母に事うる能わざるを以てなり。君子は其の禮を重んじ、小人は其の養を貪る。夫れ嗟來して之を招き、投げて之に與うるは、乞者すら由お取らざるなり。君子茍くも其の禮無ければ、美なりと雖も食わず。故に禮は主人親ら饋せざれば、則ち客祭せず。是れ饋は輕くして禮は重ければなり。
現代語訳
文学が言った。「周の襄王の母には酒も肉がなかったわけではない。衣食が曾晳のそれに劣っていたわけでもない。それでも不孝の名を負った。父母にきちんと仕えられなかったからである。君子はその礼を重んじ、小人はその供えを貪る。そもそも『おい、来い』と呼びつけて、投げるようにして与えるものは、乞食ですら受け取らない。君子は礼を欠いたものなら、どれほど美味でも食べない。だから礼では、主人が自分の手で供えなければ、客はそれを祭りに用いない。供え物は軽く、礼のほうが重いからである。
解説
実質を先に置けという反論に、渡し方で答えました。周の襄王には酒肉があった。それでも不孝と呼ばれた、と。そして「嗟来の食」——おい来い、と呼びつけて投げ与えられた食べ物は、飢えた乞食ですら受け取らない。**何を渡したかではなく、どう渡したか**の話です。同じ支援でも、受け取る側の尊厳を折る渡し方がある。福利厚生でも支援でも、渡し方だけで意味が反転することは珍しくありません。
この章句が説くこと
嗟来して之を招くは乞者すら由お取らず君子は其の礼を重んじ小人は其の養を貪る饋は軽くして礼は重し敬意尊厳実質
関連する章句
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