塩鉄論 / 國疾篇
賢良曰:「夫山東天下之腹心、賢士之戰場也。高皇帝龍飛鳳舉於宋、楚之間、山東子弟蕭、曹、樊、酈、滕、灌之屬為輔、雖即異世、亦既閎夭、太顛而已。禹出西羌、文王生北夷、然聖德高世、有萬人之才、負叠群之任、出入都市、一旦不知返、數然後終於廝役而已。仆雖不生長京師、才駑下愚、不足與大議、竊以所聞閭里長老之言、往者、常民衣服溫暖而不靡、器質樸牢而致用、衣足以蔽體、器足以便事、馬足以易步、車足以自載、酒足以合歡而不湛、樂足以理心而不淫、入無宴樂之聞、出無佚遊之觀、行即負嬴、止則鋤耘、用約而財饒、本修而民富、送死哀而不華、養生適而不奢、大臣正而無欲、執政寬而不苛、故黎民寧其性、百吏保其官。建元之始、崇文修德、天下乂安。其後、邪臣各以伎藝、虧亂至治、外障山海、內興諸利。楊可告緡、江充禁服、張大夫革令、杜周治獄、罰贖科適、微細並行、不可勝載。夏蘭之屬妄搏、王溫舒之徒妄殺、殘吏萌起、擾亂良民。當此之時、百姓不保其首領、豪富莫必其族姓。聖主覺焉、乃刑戮充等、誅滅殘賊、以殺死罪之怨、塞天下之責、然居民肆然復安。然其禍累世不復、瘡痍至今未息。故百官尚有殘賊之政、而強宰尚有強奪之心。大臣擅權而擊斷、豪猾多黨而侵陵、富貴奢侈、貧賤篡殺、女工難成而易弊、車器難就而易敗、車不累、器不終歲、一車千石、一衣十鐘。常民文杯畫案、機席緝、婢妾衣紈履絲、匹庶粺飯肉食、裏有俗、黨有場、康莊馳逐、窮巷蹋鞠、秉耒抱臿、躬耕身織者寡、聚要斂容、傅白黛青者眾。無而為有、貧而強誇、文表無裏、紈枲裝、生不養、死厚送、葬死殫家、遣女滿車、富者欲過、貧者欲及、富者空減、貧者稱貸。是以民年急而歲促、貧即寡恥、乏即少廉、此所以刑非誅惡而奸猶不止也。故國有嚴急之征、即生散不足之疾矣。」
新字:賢良曰:「夫山東天下之腹心、賢士之戦場也。高皇帝竜飛鳳舉於宋、楚之間、山東子弟蕭、曹、樊、酈、滕、灌之属為輔、雖即異世、亦既閎夭、太顛而已。禹出西羌、文王生北夷、然聖徳高世、有万人之才、負叠群之任、出入都市、一旦不知返、数然後終於廝役而已。仆雖不生長京師、才駑下愚、不足与大議、竊以所聞閭里長老之言、往者、常民衣服温暖而不靡、器質樸牢而致用、衣足以蔽体、器足以便事、馬足以易歩、車足以自載、酒足以合歓而不湛、楽足以理心而不淫、入無宴楽之聞、出無佚遊之観、行即負嬴、止則鋤耘、用約而財饒、本修而民富、送死哀而不華、養生適而不奢、大臣正而無欲、執政寛而不苛、故黎民寧其性、百吏保其官。建元之始、崇文修徳、天下乂安。其後、邪臣各以伎芸、虧乱至治、外障山海、内興諸利。楊可告緡、江充禁服、張大夫革令、杜周治獄、罰贖科適、微細並行、不可勝載。夏蘭之属妄搏、王温舒之徒妄殺、残吏萌起、擾乱良民。当此之時、百姓不保其首領、豪富莫必其族姓。聖主覚焉、乃刑戮充等、誅滅残賊、以殺死罪之怨、塞天下之責、然居民肆然復安。然其禍累世不復、瘡痍至今未息。故百官尚有残賊之政、而強宰尚有強奪之心。大臣擅権而擊断、豪猾多党而侵陵、富貴奢侈、貧賤篡殺、女工難成而易弊、車器難就而易敗、車不累、器不終歳、一車千石、一衣十鐘。常民文杯画案、機席緝、婢妾衣紈履糸、匹庶粺飯肉食、裏有俗、党有場、康荘馳逐、窮巷蹋鞠、秉耒抱臿、躬耕身織者寡、聚要斂容、傅白黛青者眾。無而為有、貧而強誇、文表無裏、紈枲装、生不養、死厚送、葬死殫家、遣女満車、富者欲過、貧者欲及、富者空減、貧者称貸。是以民年急而歳促、貧即寡恥、乏即少廉、此所以刑非誅悪而奸猶不止也。故国有厳急之征、即生散不足之疾矣。」
書き下し
賢良曰く、夫れ山東は天下の腹心、賢士の戰場なり。高皇帝は宋・楚の間に龍飛鳳舉し、山東の子弟蕭・曹・樊・酈・滕・灌の屬輔と為る、世を異にすと雖も、亦た既に閎夭・太顛のみ。禹は西羌に出で、文王は北夷に生まる、然れども聖德世に高く、萬人の才有り、群を叠ぬるの任を負う。仆京師に生長せずと雖も、才は駑にして下愚、與に大議するに足らず、竊かに閭里の長老の言に聞く所を以てせん。往者、常民の衣服は溫暖にして靡ならず、器は質樸牢にして用に致る、衣は以て體を蔽うに足り、器は以て事を便にするに足り、馬は以て步に易うるに足り、車は以て自ら載するに足り、酒は以て歡を合するに足りて湛れず、樂は以て心を理むるに足りて淫せず、入りては宴樂の聞無く、出でては佚遊の觀無し、行けば即ち負嬴し、止まれば則ち鋤耘す、用約にして財饒か、本修まりて民富む、死を送るに哀しみて華ならず、生を養うに適して奢らず、大臣は正しくして欲無く、執政は寬にして苛ならず、故に黎民は其の性を寧んじ、百吏は其の官を保てり。建元の始め、文を崇び德を修め、天下乂安なり。其の後、邪臣各々伎藝を以て、至治を虧亂す、外は山海を障り、內は諸利を興す。楊可の告緡、江充の禁服、張大夫の革令、杜周の治獄、罰贖科適、微細並び行われ、勝げて載すべからず。夏蘭の屬は妄りに搏り、王溫舒の徒は妄りに殺す、殘吏萌起して、良民を擾亂す。此の時に當たりて、百姓は其の首領を保たず、豪富も其の族姓を必とする莫し。聖主覺り、乃ち充等を刑戮し、殘賊を誅滅し、以て死罪の怨を殺ぎ、天下の責を塞ぐ、然る後に居民肆然として復た安んず。然れども其の禍は累世復せず、瘡痍今に至るまで未だ息まず。故に百官には尚お殘賊の政有り、而して強宰には尚お強奪の心有り。大臣は權を擅にして擊斷し、豪猾は黨多くして侵陵す、富貴は奢侈し、貧賤は篡殺す。女工は成り難くして弊れ易く、車器は就り難くして敗れ易し、車は累ならず、器は歲を終えず、一車は千石、一衣は十鐘なり。常民すら文杯畫案、機席緝あり、婢妾すら紈を衣て絲を履き、匹庶すら粺飯肉食す。裏に俗有り、黨に場有り、康莊に馳逐し、窮巷に蹋鞠す、耒を秉り臿を抱き、躬ら耕し身ら織る者は寡く、要を聚め容を斂め、白を傅け青を黛する者は眾し。無くして有りと為し、貧しくして強いて誇る。文表にして裏無く、紈もて枲を裝う。生きては養わず、死しては厚く送る、葬死は家を殫くし、遣女は車に滿つ、富者は過ぎんと欲し、貧者は及ばんと欲す、富者は空しく減じ、貧者は稱貸す。是を以て民は年急にして歲促る、貧しければ即ち恥寡なく、乏しければ即ち廉少なし、此れ刑の惡を誅するに非ずして奸猶お止まざる所以なり。故に國に嚴急の征有れば、即ち散不足の疾を生ずるなり。
現代語訳
賢良が言った。「山東は天下の腹と心臓であり、賢士の戦場です。高祖は宋と楚のあいだから龍のごとく飛び立ち、山東の子弟である蕭何・曹参・樊噲・酈商・夏侯嬰・灌嬰らが補佐となりました。時代は違っても、彼らは閎夭や太顛と同じ働きをしたのです。禹は西羌に生まれ、文王は北の異民族の地に生まれました。それでも徳は世に高く、万人分の才を持ち、群を束ねる任を負いました。私は都で育ったわけではなく、才も鈍く愚かで、大きな議論に加わるには足りません。ただ、里の古老たちから聞いたことを申し上げます。昔は、普通の人の衣服は暖かいが華美ではなく、器は質素で丈夫で役に立ちました。衣は体を覆えれば足り、器は仕事に使えれば足り、馬は歩く代わりになれば足り、車は自分を運べれば足りました。酒は歓びを共にできれば足りて溺れず、音楽は心を整えられれば足りて度を越さない。家では宴の音が聞こえず、外では遊び歩く姿が見えない。出れば荷を担ぎ、留まれば草を取る。費えは切り詰められ財は豊かで、本業が整って民は富んでいました。死者は哀しみをもって送り、華美にしない。生者は適度に養い、奢らない。大臣は正しくて欲がなく、執政は寛やかで苛酷でない。だから民はその性に安んじ、役人はその職を保てたのです。建元の初めも、文を崇び徳を修め、天下は安らかでした。その後、邪な臣がそれぞれの手練手管によって、よく治まっていた政を損ない乱しました。外は山海を囲い込み、内はあらゆる利を興した。楊可の密告奨励、江充の服装取り締まり、張湯の法改正、杜周の獄事、罰金や贖罪や科罪や適罰といった細かな仕組みが並び行われ、数え上げられません。夏蘭の輩はみだりに捕らえ、王温舒の徒はみだりに殺し、酷吏が次々に現れて良民をかき乱しました。この時期、民は首がつながっている保証がなく、豪族や富者もその一族の存続を確信できませんでした。聖なる主君が気づかれ、江充らを処刑し、残虐な者たちを誅滅して、死罪にされた者たちの怨みを和らげ、天下の責めをふさがれました。それでようやく民は落ち着きを取り戻したのです。しかしその禍いは何代経っても回復せず、傷はいまも癒えていません。だから役人にはなお残虐な政治が残り、地方の有力者にはなお奪い取る心があります。大臣は権を握って独断し、悪賢い有力者は徒党を組んで侵し、富貴の者は奢り、貧賤の者は奪い殺す。女の手仕事は仕上げるのに手間がかかるのにすぐ傷み、車や器は作るのに手間がかかるのにすぐ壊れる。車は積み重ならず、器は一年ももたない。一台の車が千石、一枚の衣が十鐘もします。普通の民までが模様入りの杯と絵の描かれた膳を使い、織り込んだ敷物を敷く。下女や妾までが薄絹を着て絹の履物を履き、庶民までが精白した飯と肉を食べる。町にはそれぞれの流行があり、村ごとに遊び場がある。大通りで馬を走らせ、路地で蹴鞠をする。鋤を握り鍬を抱えて自ら耕し自ら織る者は少なく、身なりを整え白粉をつけ眉を描く者が多い。無いのに有るように見せ、貧しいのに無理に見栄を張る。表は上等な織物で裏は何もなく、絹で麻くずを包んでいる。生きているうちは養わず、死んでから手厚く送る。葬式で家財を使い果たし、嫁入り道具は車に山盛りです。富める者は人より上を行こうとし、貧しい者は追いつこうとする。富める者はいたずらに財を減らし、貧しい者は借金をする。だから民は年ごとに追い詰められ、月日に追われる。貧しければ恥が減り、乏しければ廉が減る。これこそが、刑は悪を誅しているのに不正が止まらない理由です。だから国に厳しく急な取り立てがあれば、そこに『散不足』という病が生じるのです」
解説
この章句が説くこと
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『塩鉄論』取下篇賢良曰く、古者、上取るに量有り、自ら養うに度有り、樂歲には盜まず、年饑うれば則ち肆す。民の力を用うること、歲に三日を過ぎず、籍斂は、十一を過ぎず。君篤く愛し、臣力を盡くし、上下交々讓りて、天下平らかなり。『浚く爾の私を發せ』とは、上の下に讓るなり。『遂に我が私に及ぶ』とは、公職を先にするなり。孟子曰く、『未だ仁にして其の親を遺つる者、義にして其の君を後にする者有らざるなり』と。君君たり臣臣たり、何為れぞ其れ禮義無からんや。周の末塗に及びて、德惠塞がりて嗜欲眾く、君は奢侈にして上求むること多く、民は下に困しみ、上公に怠る、是を以て履畝の稅有りて、碩鼠の詩作れるなり。衛の靈公、隆冬に當たりて眾を興して池を穿つ。海春諫めて曰く、『天寒く、百姓凍餒す、願わくは公の役を罷めんことを』と。公曰く、『天寒きかな。我何ぞ寒からざるや』と。人の言に曰く、『安き者は危きを恤む能わず、飽く者は饑うるを食わしむる能わず』と。故に粱肉に余りある者は隱約を言い難く、佚樂に處る者は勤苦を言い難し。夫れ高堂邃宇、廣廈洞房なる者は、專屋狹廬、上漏り下濕る者の窘しみを知らず。馬を系ぐこと百駟、貨財內に充ち、陳きを儲え新しきを納るる者は、旦有りて暮無く、稱貸する者の急を知らず。廣第唐園、良田連比なる者は、運踵の業無く、宅に竄頭する者の役を知らず。原馬山を被い、牛羊谷に滿つる者は、孤豚瘠犢すら無き者の窶しきを知らず。枕を高くして談臥し、叫號無き者は、私責と吏正とに憂え戚しむ者の愁いを知らず。紈を被り韋を躡み、粱を搏り肥を嚙む者は、短褐の寒き、糠の苦きを知らず。房闈の間に從容として、垂拱して案食を持する者は、耒を跖みて躬ら耕す者の勤めを知らず。堅きに乘り良きを驅り、騎を列ねて行を成す者は、檐を負いて步行する者の勞を知らず。匡床旃席、侍御側に滿つる者は、輅を負い船を挽き、高きに登り流れを絕つ者の難きを知らず。輕暖を衣、美裘を被り、溫室に處り、安車に載る者は、邊城に乘り、胡・代に飄い、清風に鄉かう者の危寒を知らず。妻子好合し、子孫之を保つ者は、老母の憔悴、匹婦の悲恨を知らず。耳に五音を聽き、目に弄優を視る者は、流矢を蒙り、敵を方外に距ぐ者の死を知らず。東に向かいて几に伏し、筆を振るいて文を調うるが如き者は、木索の急、棰楚せらるる者の痛みを知らず。旃茵の上に坐し、圖籍の言を易きが若く然りと安んずる者も、亦た步涉する者の難きを知らざるなり。昔、商鞅の秦に任ぜらるるや、人を刑すること菅茅を刈るが若く、師を用うること彈丸の若し。軍に從う者は骨を長城に暴し、戍漕する者は輦車相い望む。生きて往き、死して旋る、彼れ獨り人の子に非ざらんや。故に君子は仁もて以て恕し、義もて以て度り、好惡する所は天下と之を共にし、不仁なる者には施さざる所なり。公劉は貨を好みて、居る者に積有り、行く者に囊有り。太王は色を好みて、內に怨女無く、外に曠夫無し。文王は刑を作りて、國に怨獄無し。武王は師を行りて、士は樂しみて之が為に死し、民は樂しみて之が為に用いらる。斯くの若くんば、則ち民何ぞ苦しみて怨み、何をか求めて譏らんや。
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『塩鉄論』執務篇賢良曰く、孟子曰く、『堯・舜の道は、人に遠きに非ざるなり、而して人之を思わざるのみ』と。詩に云う、『之を求めて得ざれば、寤寐に思服す』と。求むること關睢の如く、德を好むこと河廣の如くんば、何ぞ濟らず得ざることの有らんや。故に高山は仰ぎ止み、景行は行き止む、及ぶ能わずと雖も、道を離るること遠からざるなり。顏淵曰く、『舜は獨り何人ぞや、回は何人ぞや』と。夫れ賢を思い能を慕い、善に從いて休まざれば、則ち成・康の俗も致すべく、而して唐・虞の道も及ぶべし。公卿未だ思わざるなり、先王の道、何ぞ遠きこと之れ有らん。齊桓公は諸侯を以て王政を思い、周室を憂え、諸夏の難を匡し、夷・狄の亂を平らげ、亡を存し絕を接ぎ、信義大いに行われて、天下に著る。邵陵の會、之に予して主と為す。傳に曰く、『予は積なり』と。故に土積みて山阜と成り、水積みて江海と成り、行い積みて君子と成る。孔子曰く、『吾河廣に於いて、德の至れるを知る』と。而して之を得んと欲せば、各々其の本に反り、諸を古に復するのみ。古者、行役は時を踰えず、春に行けば秋に反り、秋に行けば春に來たる、寒暑未だ變ぜず、衣服易えずして、固より已に還れり。夫婦は時を失わず、人は安和にして適くが如し。獄訟平らかに、刑罰得れば、則ち陰陽調い、風雨時あり。上苛擾せず、下煩勞せず、各々其の業を修め、其の性に安んずれば、則ち螟螣生ぜずして、水旱起こらず。賦斂省かれて農は時を失わざれば、則ち百姓足りて、流人は其の田里に歸る。上清靜にして欲せざれば、則ち下は廉にして貪らず。今の若くんば則ち繇役は極めて遠く、寒苦の地、危難の處を盡くし、胡・越の域に涉り、今茲往きて來歲に旋る。父母は頸を延べて西を望み、男女は怨曠して相い思う、身は東楚に在りて、志は西河に在り。故に一人行きて鄉曲恨み、一人死して萬人悲しむ。詩に云う、『王事盬きこと靡く、稷黍を藝うる能わず、父母何をか怙まん』と。『彼の恭人を念えば、涕零つること雨の如し。豈に歸るを懷わざらんや、此の罪罟を畏るればなり』と。吏は法を奉じて以て存撫せず、公に倍きて私に任せ、各々其の權を以て其の嗜欲を充たす。人愁苦して怨思し、上恤み理めざれば、則ち惡政行われて邪氣作る、邪氣作れば、則ち蟲螟生じて水旱起こる。此くの若くんば、禱祀雩祝し、百神に事うること時無しと雖も、豈に能く陰陽を調えて盜賊を息めんや。
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『塩鉄論』除狹篇賢良曰く、古の士を進むるや、鄉に擇びて裏に選び、其の才能を論じ、然る後に之を官し、職任に勝えて然る後に爵して之に祿す。故に士は之を鄉曲に修め、諸を朝廷に升す。之を幽隱に行うも、明らかに顯著なるに足る。疏遠にして士を失うこと無く、小大にして功を遺すこと無し。是を以て賢者は進み用いられ、不肖者は簡び黜けらる。今、吏道は雜にして選ばず、富める者は財を以て官を賈い、勇なる者は死を以て功を射る。戲車鼎躍、咸な出でて吏に補せられ、功を累ね日を積みて、或いは卿相に至る。青繩を垂れ、銀龜を擐き、殺生の柄を擅にし、萬民の命を專らにす。弱き者は、猶お狼をして羊を將いしむるがごときなり、其の亂るること必せり。強き者は、則ち是れ狂夫に利劍を予うるなり、必ず妄りに殺生せん。是を以て往者、郡國の黎民、相い乘じて理むる能わず、或いは頸を鋸き不辜を殺すに至るも正す能わず。綱紀を執ること其の道に非ざれば、蓋し亂を博めて愈々甚だし。古者、賢を封じ能に祿するに、百里に過ぎず、百里の中にして都を為し、疆垂は五十に過ぎず、猶お以為えらく、一人の身、明は照らす能わず、聰は達する得ず、と。故に卿・大夫・士を立てて以て之を佐けしめ、而して政治乃ち備わる。今、守・相は或いは古の諸侯の賢無くして、千里の政に蒞み、一郡の眾を主どり、聖主の德を施し、生殺の法を擅にす、至って重きなり。仁人に非ざれば任う能わず、其の人に非ざれば行う能わず。一人の身、治亂は己に在り、千里之と與に轉化す、熟擇せざるべからず。故に人主は人に私するに財を以てするも、人に私するに官を以てせず、賞を懸けて以て功を待ち、爵を序して以て賢を俟ち、善を舉ぐるは足らざるが若く、惡を黜くるは仇讎の若し、固より其の功に非ずして百姓を殘なうが為なり。夫れ主德を輔け、臣途を開くは、賢を選びて之を器使し、守・相を擇び練りて然る後に之に任ずるに在り。
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『塩鉄論』救匱篇賢良曰く、高皇帝の時、蕭・曹公と為り、滕・灌の屬卿と為る、濟濟然として斯れ則ち賢なり。文・景の際、建元の始め、大臣に尚お爭引守正の義有り。此より後、多く意を承け欲に從い、敢えて直言面議して正しく刺る者少なく、公に因りて私に徇う。故に武安丞相は園田を訟え、曲直を人主の前に爭う。夫れ九層の臺一たび傾けば、公輸子も正す能わず、本朝一たび邪なれば、伊・望も復す能わず。故に公孫丞相・倪大夫は身を側めて道を行い、祿を分かちて以て賢を養い、己を卑くして以て士に下り、功業顯かに立つも、日力足らず、行人子產の繼ぐ無し。而して葛繹・彭侯の等、其の緒を隳壞し、其の紀を紕亂し、其の客館議堂を毀ちて、以て馬廄婦舍と為す、養士の禮無くして、驕矜の色を尚ぶ、廉恥陵遲して利に爭う。故に良田廣宅ありて、民の之く所無し、利を為すを恥じざる者は朝市に滿ち、田畜を列ぬる者は郡國に彌る、橫暴掣頓して、大第巨舍の旁、道路且つ通ぜず、此れ固より醫し難くして工を為すべからず。/大夫勃然として色を作し、默して應ぜず。
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『塩鉄論』國疾篇大夫色少しく寬やかに、文學に面して賢良に蘇して曰く、窮巷に曲辯多く、寡見の者は喩し難し。文學は溟涬の語を守死して、終に移らず。夫れ往古の事、昔之れ有りの語は、己に睹るべし。今近世を以て之を觀るに、自ら目に見る所有り、耳に聞く所有るを以てす、世殊にして事異なる。文・景の際、建元の始め、民は樸にして本に歸し、吏は廉にして自ら重んず、殷殷屯屯として、人衍かにして家富む。今政改まるに非ずして教易わるに非ざるなり、何ぞ世のいよいよ薄くして俗のますます衰うるや。吏は即ち廉少なく、民は即ち恥寡なし、刑は惡を誅するに非ずして、奸猶お止まず。世人に言有り、『鄙儒は都士に如かず』と。文學は皆山東より出づ、大論に涉ること希なり。子大夫は京師を論ずること日久し、願わくは政治得失の事、故に然る所以の者を分明にせよ。
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『塩鉄論』刺復篇文學曰く、輸子の材木を制するや、其の規矩を正して鑿枘調う。師曠の五音を諧するや、其の六律を正して宮商調う。當世の工匠は、其の鑿枘を調うる能わざれば、則ち規矩を改め、聲音を協うる能わざれば、則ち舊律を變ず。是を以て鑿枘は刺戾して合わず、聲音は泛越して和せず。夫れ規矩を舉げて宜しきを知り、律を吹きて變を知るは、上なり、因循して作さず、以て其の人を俟つは、次なり。是を以て曹丞相は日に醇酒を飲み、倪大夫は口を閉じて言わず。故に大を治むる者は煩わすべからず、煩わせば則ち亂る、小を治むる者は怠るべからず、怠れば則ち廢る。春秋に曰く、『其の政恢卓なれば、恢卓は以て卿相と為すべし。其の政察察なれば、察察は以て匹夫と為すべし』と。夫れ維綱張らず、禮義行われざるは、公卿の憂いなり。案上の文、期會の事は、丞史の任なり。尚書に曰く、『俊乂官に在り、百僚師師たり、百工惟れ時にし、庶尹允に諧う』と。官其の人を得、人其の事に任ずるを言うなり、故に官治まりて亂れず、事起こりて廢れず、士は其の職を守り、大夫は其の位を理め、公卿は要を總べ凡を執るのみ。故に能に任ずる者は成を責めて勞せず、己に任ずる者は事廢れて功無し。桓公の管仲に於けるや、耳にして之を目にす。故に君子は賢を求むるに勞して、之を用うるに逸す、豈に殆しと云わんや。昔周公の相たるや、謙卑にして鄰らず、以て天下の士を勞う、是を以て俊乂朝に滿ち、賢智門に充つ。孔子は爵位無くして、布衣を以て才士七十有餘人を從う、皆諸侯卿相の人なり、況んや三公の尊に處りて以て天下の士を養うをや。今公卿の上位、爵祿の美を以てして、士を致す能わざるは、則ち未だ賢を進むるの道有らざるなり。堯の舜を舉ぐるや、賓として之に妻あわす。桓公の管仲を舉ぐるや、賓として之を師とす。天子を以て匹夫に妻あわすは、賢を親しむと謂うべし。諸侯を以て匹夫を師とするは、賓を敬すと謂うべし。是を以て賢者之に從うこと流るるが若く、之に歸して疑わず。今當世の位に在る者は、既に燕昭の士に下るも、鹿鳴の賢を樂しむも無くして、臧文・子椒の意を行う、賢を蔽い能を妒み、自ら其の智を高しとし、人の才を訾り、己に足りて問わず、士を卑しみて友とせず、位を以て賢に尚り、祿を以て士に驕る、而して士の用を求むるは、亦た難いかな。