塩鉄論 / 貧富篇
大夫曰:「山嶽有饒、然後百姓贍焉。河、海有潤、然後民取足焉。夫尋常之汙、不能溉陂澤、丘阜之木、不能成宮室。小不能苞大、少不能贍多。未有不能自足而能足人者也。未有不能自治而能治人者也。故善為人者、能自為者也、善治人者、能自治者也。文學不能治內、安能理外乎?」
新字:大夫曰:「山嶽有饒、然後百姓贍焉。河、海有潤、然後民取足焉。夫尋常之汚、不能溉陂沢、丘阜之木、不能成宮室。小不能苞大、少不能贍多。未有不能自足而能足人者也。未有不能自治而能治人者也。故善為人者、能自為者也、善治人者、能自治者也。文学不能治内、安能理外乎?」
書き下し
大夫曰く、山嶽に饒有り、然る後に百姓焉に贍る。河・海に潤有り、然る後に民取りて足る。夫れ尋常の汙は、陂澤を溉ぐ能わず、丘阜の木は、宮室を成す能わず。小は大を苞む能わず、少は多を贍す能わず。未だ自ら足る能わずして能く人を足す者有らざるなり。未だ自ら治むる能わずして能く人を治むる者有らざるなり。故に善く人を為むる者は、能く自ら為むる者なり、善く人を治むる者は、能く自ら治むる者なり。文學は內を治むる能わず、安んぞ能く外を理めんや。
現代語訳
大夫が言った。「山に豊かさがあってはじめて民はそこから足りる。河や海に潤いがあってはじめて民は取って足りる。そもそも数尺の水たまりでは池や沢を潤せず、小山の木では宮殿は建たない。小さいものは大きいものを包めず、少ないものは多くを賄えない。自分を満たせずに人を満たせる者はいない。自分を治められずに人を治められる者はいない。だから人をよく治める者は、自分をよく治められる者である。文学は自分の内側を治められないのに、どうして外を治められようか」
解説
「自分を治められない者が人を治められるか」——この論法は強く、しかも古来使い回されてきました。修身が先だという儒家自身の教えを、そのまま相手に返している形です。ただし前提が一つ紛れ込んでいます。ここでいう「自分を治める」が、いつのまにか「自分が豊かである」にすり替わっている。修身と蓄財は別のことです。文学は次の段で、まさにその一点を、道具立ての比喩で解きにかかります。
この章句が説くこと
自ら足る能わずして能く人を足す者無し善く人を治むる者は能く自ら治むる者なり小は大を苞む能わず自立資格順序
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