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塩鉄論 / 殊路篇

文學曰:「宋殤公知孔父之賢而不早任、故身死。魯莊知季有之賢、授之政晚而國亂。衛君近佞遠賢、子路居蒲、孔悝為政。簡公不聽宰我而漏其謀。是以二君身被放殺、而禍及忠臣。二子者有事而不與其謀、故可以死、可以生、去止其義一也。晏嬰不死崔、慶之難、不可謂不義、微子去殷之亂、可謂不仁乎?」

新字:文学曰:「宋殤公知孔父之賢而不早任、故身死。魯荘知季有之賢、授之政晩而国乱。衛君近佞遠賢、子路居蒲、孔悝為政。簡公不聴宰我而漏其謀。是以二君身被放殺、而禍及忠臣。二子者有事而不与其謀、故可以死、可以生、去止其義一也。晏嬰不死崔、慶之難、不可謂不義、微子去殷之乱、可謂不仁乎?」

書き下し

文學曰く、宋の殤公は孔父の賢を知りて早く任ぜず、故に身死す。魯の莊は季有の賢を知るも、之に政を授くること晩くして國亂る。衛君は佞に近づき賢を遠ざく、子路は蒲に居り、孔悝政を為す。簡公は宰我を聽かずして其の謀を漏らす。是を以て二君は身放殺せられ、而して禍いは忠臣に及ぶ。二子は事有るも其の謀に與らず、故に以て死すべく、以て生くべし、去止其の義一なり。晏嬰は崔・慶の難に死せず、不義と謂うべからず、微子は殷の亂を去る、不仁と謂うべけんや。

現代語訳

文学が言った。「宋の殤公は孔父の賢さを知りながら早く任せなかった。だから自分が死んだ。魯の荘公は季友の賢さを知りながら、政を授けるのが遅く、国は乱れた。衛の君は佞人に近づき賢者を遠ざけた。子路は蒲におり、孔悝が政を執っていた。斉の簡公は宰我の言を聴かず、その計画を漏らした。だから二人の君主は追放され殺され、災いは忠臣にまで及んだ。二人の弟子は事件が起きたとき、その謀議に加わっていなかった。だから死ぬこともでき、生きることもできた。去るも留まるも、義としては同じである。晏嬰は崔杼と慶封の乱で死ななかったが、不義とは言えない。微子は殷の乱を去ったが、不仁と言えるだろうか」

解説

卒業生のその後を問われて、二つ返しました。第一に、賢者がいたのに任せるのが遅かった。宋の殤公も魯の荘公も、知っていながら使わなかったから崩れた、と。第二に、事件の謀議に加わっていない者は、死ぬのも生きるのも義として同じだ、と。晏嬰と微子を挙げて、逃げたことを不義としない基準を示しています。責任は関与の度合いに応じる、という考え方で、いまも組織の責任論の基本です。

この章句が説くこと

賢を知りて早く任ぜず之に政を授くること晩くして国乱る去止其の義一なり登用時機判断

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