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塩鉄論 / 毀學篇

大夫曰:「司馬子言:『天下穰穰、皆為利往。』趙女不擇醜好、鄭嫗不擇遠近、商人不媿恥辱、戎士不愛死力、士不在親、事君不避其難、皆為利祿也。儒、墨內貪外矜、往來遊說、棲棲然亦未為得也。故尊榮者士之願也、富貴者士之期也。方李斯在荀卿之門、阘茸與之齊軫、及其奮翼高舉、龍升驥騖、過九軼二、翺翔萬仞、鴻鵠華騮且同侶、況跛牂燕雀之屬乎!席天下之權、禦宇內之眾、後車百乘、食祿萬鐘。而拘儒布褐不完、糟糠不飽、非甘菽藿而卑廣廈、亦不能得已。雖欲嚇人、其何已乎!」

新字:大夫曰:「司馬子言:『天下穰穰、皆為利往。』趙女不択醜好、鄭嫗不択遠近、商人不愧恥辱、戎士不愛死力、士不在親、事君不避其難、皆為利禄也。儒、墨内貪外矜、往来遊説、棲棲然亦未為得也。故尊栄者士之願也、富貴者士之期也。方李斯在荀卿之門、阘茸与之斉軫、及其奮翼高舉、竜升驥騖、過九軼二、翺翔万仞、鴻鵠華騮且同侶、況跛牂燕雀之属乎!席天下之権、禦宇内之眾、後車百乗、食禄万鐘。而拘儒布褐不完、糟糠不飽、非甘菽藿而卑広廈、亦不能得已。雖欲嚇人、其何已乎!」

書き下し

大夫曰く、司馬子言えらく、『天下穰穰として、皆利の為に往く』と。趙女は醜好を擇ばず、鄭嫗は遠近を擇ばず、商人は恥辱を媿じず、戎士は死力を愛しまず、士は親に在らず、君に事えて其の難を避けざるは、皆利祿の為なり。儒・墨は內に貪り外に矜り、往來遊說す、棲棲然として亦た未だ得たりと為さざるなり。故に尊榮は士の願う所なり、富貴は士の期する所なり。李斯の荀卿の門に在るに方たり、闒茸も之と軫を齊しくす、其の翼を奮い高く舉がるに及び、龍のごとく升り驥のごとく騖せ、九を過ぎ二を軼し、萬仞に翺翔す、鴻鵠華騮すら且つ侶を同じくす、況んや跛牂燕雀の屬をや。天下の權に席り、宇內の眾を禦し、後車百乘、祿を食むこと萬鐘なり。而るに拘儒は布褐すら完からず、糟糠すら飽かず、菽藿を甘しとして廣廈を卑しむに非ず、亦た得る能わざるのみ。人を嚇せんと欲すと雖も、其れ何ぞ已まんや。

現代語訳

大夫が言った。「司馬遷はこう言った、天下は騒がしく、みな利のために行き来している、と。趙の女は相手の美醜を選ばず、鄭の老女は遠近を選ばず、商人は恥をかくことを気にせず、兵士は命を惜しまない。士が親のもとを離れ、君に仕えて危難を避けないのも、みな利と俸禄のためである。儒家も墨家も、内では貪り外では気取り、あちこち遊説して回る。あくせくしていて、それでも思うようにいっていない。だから尊く栄えることは士の願いであり、富み貴くなることは士の期するところだ。李斯が荀子の門にいたときは、取るに足らない者でも彼と肩を並べていた。ところが翼を奮って高く舞い上がるや、龍のように昇り駿馬のように駆け、九を過ぎ二を追い抜き、万仞の高さを飛び回った。大鳥や名馬でさえ同輩となる。まして足の悪い羊や燕や雀のたぐいはどうか。天下の権を握り、国じゅうの人を統べ、従う車は百台、俸禄は万鐘である。ところが融通のきかない儒者は、粗布の服も満足でなく、糟や糠さえ腹一杯食べられない。豆の葉を旨いとして大邸宅を卑しんでいるのではない。得られないだけだ。人を威嚇しようとしても、どうしようもあるまい」

解説

『史記』の一句を引いて、本音を突きました。天下は騒がしく、みな利のために行き来している——商人も兵士も士も、動機は利だ、と。そのうえで儒者も同じだと言い切ります。清貧を選んでいるのではなく、得られないだけだ、と。人の動機をすべて利に還元するこの見方は、身も蓋もないぶん一定の説得力があります。ただしそれは「だから何を選んでもよい」に直結する。次の段で文学は、動機の議論ではなく、選んだ先に何が待っていたかで答えます。

この章句が説くこと

天下穰穰として皆利の為に往く尊栄は士の願う所なり菽藿を甘しとするに非ず得る能わざるのみ動機本音格差

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