塩鉄論 / 刺復篇
文學曰:「冰炭不同器、日月不並明。當公孫弘之時、人主方設謀垂意於四夷、故權譎之謀進、荊、楚之士用、將帥或至封侯食邑、而勀獲者咸蒙厚賞、是以奮擊之士由此興。其後、干戈不休、軍旅相望、甲士糜弊、縣官用不足、故設險興利之臣起、磻溪熊羆之士隱。涇、渭造渠以通漕運、東郭咸陽、孔僅建鹽、鐵、策諸利、富者買爵販官、免刑除罪、公用彌多而為者徇私、上下兼求、百姓不堪、抏弊而從法、故憯急之臣進、而見知、廢格之法起。杜周、咸宣之屬、以峻文決理貴、而王溫舒之徒以鷹隼擊殺顯。其欲據仁義以道事君者寡、偷合取容者眾。獨以一公孫弘、如之何?」
新字:文学曰:「冰炭不同器、日月不並明。当公孫弘之時、人主方設謀垂意於四夷、故権譎之謀進、荊、楚之士用、将帥或至封侯食邑、而勀獲者咸蒙厚賞、是以奮撃之士由此興。其後、干戈不休、軍旅相望、甲士糜弊、県官用不足、故設険興利之臣起、磻渓熊羆之士隠。涇、渭造渠以通漕運、東郭咸陽、孔僅建塩、鉄、策諸利、富者買爵販官、免刑除罪、公用弥多而為者徇私、上下兼求、百姓不堪、抏弊而従法、故憯急之臣進、而見知、廃格之法起。杜周、咸宣之属、以峻文決理貴、而王温舒之徒以鷹隼撃殺顕。其欲拠仁義以道事君者寡、偸合取容者衆。独以一公孫弘、如之何?」
書き下し
文學曰く、冰炭は器を同じくせず、日月は並び明らかならず。公孫弘の時に當たり、人主は方に謀を設け意を四夷に垂る、故に權譎の謀進み、荊・楚の士用いられ、將帥は或いは封侯食邑に至り、而して勀獲する者は咸な厚賞を蒙る、是を以て奮擊の士は此に由りて興る。其の後、干戈休まず、軍旅相い望み、甲士糜弊し、縣官の用足らず、故に險を設け利を興すの臣起こり、磻溪熊羆の士は隱る。涇・渭に渠を造りて以て漕運を通じ、東郭咸陽・孔僅は鹽・鐵を建て、諸利を策す、富者は爵を買い官を販り、刑を免れ罪を除く、公用いよいよ多くして為す者は私に徇う、上下兼ね求め、百姓堪えず、抏弊して法に從う、故に憯急の臣進みて、見知・廢格の法起こる。杜周・咸宣の屬は、峻文を以て理を決して貴く、而して王溫舒の徒は鷹隼の擊殺を以て顯る。其の仁義に據りて道を以て君に事えんと欲する者は寡く、偷合取容する者は眾し。獨り一公孫弘を以て、之を如何せん。
現代語訳
文学が言った。「氷と炭は同じ器に収まらず、太陽と月は同時には輝かない。公孫弘の時代、君主はちょうど四方の異民族へ意を注いで謀をめぐらせていた。だから権謀の策が採用され、荊や楚の士が用いられ、将帥には諸侯に封じられ領地を得る者まで出て、敵を打ち破った者はみな厚い賞をもらった。だから勇み立って撃つ士が、これによって世に出た。その後、戦いは休まず、軍列は次々と続き、兵は消耗し、官庫は足りなくなった。だから難しい仕組みを設けて利を生み出す臣が現れ、磻渓で釣り糸を垂れていたような賢者は身を隠した。涇水と渭水に運河を造って輸送を通し、東郭咸陽と孔僅は塩鉄の官営を立て、あらゆる利を計画した。富める者は爵位を買い官職を売り、刑を免れ罪を消してもらう。公の支出はますます増えるのに、実行する者は私腹を肥やす。上も下も取ることばかり求め、民は堪えられず、疲れ果てて法に従う。だから苛酷で性急な臣が出世し、見て見ぬふりを罪とする法や、詔を握り潰したことを罪とする法ができた。杜周や咸宣といった連中は厳しい条文で裁いて出世し、王温舒のような者は鷹や隼のように打ち殺すことで名を上げた。仁義に拠り道をもって君に仕えようとする者は少なく、その場に迎合して身を保つ者ばかりだ。公孫弘ひとりで、どうしろというのか」
解説
この章句が説くこと
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