塩鉄論 / 本議篇
大夫曰:「匈奴背叛不臣、數為寇暴於邊鄙、備之則勞中國之士、不備則侵盜不止。先帝哀邊人之久患、苦為虜所系獲也、故修障塞。飭烽燧、屯戍以備之。邊用度不足、故興鹽、鐵、設酒榷、置均輸、蕃貨長財、以佐助邊費。今議者欲罷之、內空府庫之藏、外乏執備之用、使備塞乘城之士饑寒於邊、將何以贍之?罷之、不便也。」
新字:大夫曰:「匈奴背叛不臣、数為寇暴於辺鄙、備之則労中国之士、不備則侵盗不止。先帝哀辺人之久患、苦為虜所系獲也、故修障塞。飭烽燧、屯戍以備之。辺用度不足、故興塩、鉄、設酒榷、置均輸、蕃貨長財、以佐助辺費。今議者欲罷之、内空府庫之蔵、外乏執備之用、使備塞乗城之士饑寒於辺、将何以贍之?罷之、不便也。」
書き下し
大夫曰く、匈奴背叛して臣とせず、數ば邊鄙に寇暴を爲す。之に備うれば則ち中國の士を勞し、備えざれば則ち侵盜止まず。先帝は邊人の久しく患い、虜の系獲する所と爲るに苦しむを哀れむ。故に障塞を修め、烽燧を飭え、屯戍して以て之に備う。邊の用度足らず、故に鹽・鐵を興し、酒榷を設け、均輸を置き、貨を蕃し財を長じ、以て邊費を佐助す。今議者之を罷めんと欲す。内は府庫の藏を空しくし、外は執備の用を乏しくし、塞に備え城に乘るの士をして邊に饑寒せしめば、將た何を以て之に贍らん。之を罷むるは、便ならざるなり、と。
現代語訳
大夫(御史大夫・桑弘羊)は言った。「匈奴は背いて臣従せず、たびたび辺境で乱暴をはたらく。備えれば中原の兵を疲れさせ、備えなければ侵略と略奪が止まらない。先帝は辺境の人々が長く苦しみ、捕虜として連れ去られることを哀れまれた。だから防壁を修め、のろし台を整え、兵を駐屯させて備えた。辺境の費用が足りない、だから塩と鉄を興し、酒の専売を設け、均輸を置き、貨物を増やし財を伸ばして、辺境の費用の助けとしたのだ。いま議論する者はこれを廃止しようという。内では国庫の蓄えを空にし、外では備えの費用を欠かせ、砦を守り城壁に立つ兵を辺境で飢えさせるなら、いったい何をもって彼らを養うのか。廃止するのは、便ではない」
解説
この章句が説くこと
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