塩鉄論 / 憂邊篇
文學曰:「夫欲安民富國之道、在於反本、本立而道生。順天之理、因地之利、即不勞而功成。夫不修其源而事其流、無本以統之、雖竭精神、盡思慮、無益於治。欲安之適足以危之、欲救之適足以敗之。夫治亂之端、在於本末而已、不至勞其心而道可得也。孔子曰:『不通於論者難於言治、道不同者、不相與謀。』今公卿意有所倚、故文學之言、不可用也。」
新字:文学曰:「夫欲安民富国之道、在於反本、本立而道生。順天之理、因地之利、即不労而功成。夫不修其源而事其流、無本以統之、雖竭精神、尽思慮、無益於治。欲安之適足以危之、欲救之適足以敗之。夫治乱之端、在於本末而已、不至労其心而道可得也。孔子曰:『不通於論者難於言治、道不同者、不相与謀。』今公卿意有所倚、故文学之言、不可用也。」
書き下し
文學曰く、夫れ民を安んじ國を富ますの道は、本に反るに在り、本立ちて道生ず。天の理に順い、地の利に因れば、即ち勞せずして功成る。夫れ其の源を修めずして其の流れを事とし、本以て之を統ぶる無ければ、精神を竭くし、思慮を盡くすと雖も、治に益無し。之を安んぜんと欲して適だ以て之を危うくするに足り、之を救わんと欲して適だ以て之を敗るに足る。夫れ治亂の端は、本末に在るのみ、其の心を勞するに至らずして道得べきなり。孔子曰く、『論に通ぜざる者は治を言い難し、道同じからざる者は、相い與に謀らず』と。今公卿の意に倚る所有り、故に文學の言は、用うべからざるなり。
現代語訳
文学が言った。「そもそも民を安んじ国を富ませる道は、根本に立ち返ることにある。根本が立てば道はおのずから生まれる。天の道理に従い、土地の利を活かせば、苦労せずに功は成る。源を直さずに流れのほうばかりいじり、根本でそれを束ねるものがなければ、どれほど精神を使い果たし思慮を尽くしても、治めることの役には立たない。安んじようとして、かえって危うくするに十分であり、救おうとして、かえって壊すに十分である。そもそも治まるか乱れるかの分かれ目は、本と末のどちらを取るかにあるだけだ。心を苦しめるまでもなく道は得られる。孔子は言った、議論に通じていない者とは政治を語りにくい、道が同じでない者とは互いに謀らない、と。いま公卿には拠って立つ考えがある。だから文学の言葉は、用いられないのだ」
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第十四其謂は今度長篠にて分別違ひ、去年戌の極月備定めの談合を破り、待て勝つ敵に此方より競ひかゝりて、合戦の儀さたの外也、子細は敵の大将强みも分別も四十二歳なれば、年孰れもさかりの信長父子三人、海道一番の家康卅四歳なれば是も分別巳の時也、しかも嫡子の三郎当十七歳なれ共、三十の男より打あがりたる健者にて、結句家康にもひだちをうたんとかゝるじやれ者と、
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論語・先進篇顔淵死す。門人厚く之を葬らんと欲す。子曰く、「不可なり。」門人厚く之を葬る。子曰く、「回や、予を視ること猶お父のごとし。予は視ること猶お子のごとくするを得ざるなり。我に非ざるなり、夫の二三子なり。」
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史記 廉頗藺相如列伝李牧は、趙の北辺の良将なり。常に代の鴈門に居り、匈奴に備ふ。便宜を以て吏を置き、市租は皆莫府に輸入して、士卒の費と為す。日に数牛を撃ちて士を饗し、射騎を習はしめ、烽火を謹み、間諜を多くし、厚く戦士を遇す。約を為りて曰く、「匈奴即し入りて盗まば、急ぎ入りて収保せよ。敢へて虜を捕ふる者有らば斬らん」と。匈奴入る毎に、烽火謹み、輒ち入りて収保し、敢へて戦はず。是くの如きこと数歳、また亡失せず。然れども匈奴は李牧を以て怯と為し、趙の辺兵と雖もまた以為へらく吾が将は怯なりと。趙王李牧を譲む、李牧故の如し。趙王怒り、これを召し、他人をして代はりて将たらしむ。歳余、匈奴来たる毎に、出でて戦ふ。出でて戦ひ、数々利あらず、失亡多く、辺は田畜するを得ず。また李牧に請ふ。牧、門を杜ぎて出でず、固く疾と称す。趙王乃ちまた彊ひて起たしめて兵を将ゐしむ。牧曰く、「王必ず臣を用ひば、臣前の如くせん、乃ち敢へて令を奉ぜん」と。王これを許す。李牧至り、故の約の如くす。匈奴数歳得る所無し。終に以て怯と為す。辺士日に賞賜を得れども用ひられず、皆一戦を原(ねが)ふ。是に於いて乃ち選車を具へて千三百乗を得、選騎万三千匹を得、百金の士五万人、彀者十万人、悉く勒して戦ひを習はしむ。大いに畜牧を縦ち、人民野に満つ。匈奴小しく入る、詳りて北げて勝たず、数千人を以てこれに委ぬ。単于これを聞き、大いに衆を率ゐて来たり入る。李牧多く奇陳を為し、左右の翼を張りてこれを撃ち、大いに匈奴十余万騎を破り殺す。襜襤を滅ぼし、東胡を破り、林胡を降す、単于奔走す。その後十余歳、匈奴敢へて趙の辺城に近づかず。
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『新論』虜情夫れ西夷の中国を窺ふ者、前後武を接し、各国逓ひに至る。其の国殊なりと雖も、其の敬事尊奉する所以の者は、則ち同一の胡神なり。故に耶蘇の中原を闚ふこと三百年にして変ぜず。而して中国の之を待つ所以の者は、則ち時論の趨舎に係り、或は雄断に出で、或は姑息に出づ。是れ其の間を闚ふ者は始終一意にして、之に応ずる者は前後論を異にす。一意なる者を以て、異論なる者を闚ふ、安んぞ其の能く久しくして間の乗ずべき無きを保たんや。然らば則ち時論をして一定し乗ずべきの間無からしめんと欲せば、虜情を審らかにするに在るかな、虜情を審らかにするに在るかな。(巻上終)
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『政談』刑罰の事其内にも尚罪の疑はしき計りに用ゆれは、罪の決定したるは仮令金ありて金を出して詫ひたく思へ共叶はぬ故過料の方次になり、刑法の方重になる仔細にて上の御慈悲になる也、初より金を出さすると云ふこと殊のほかに下輩なる仕かたにて民の心に服し易きこと也、当時公儀にて此法取行はるれとも下心に尤と存せすと見えて諸大名にては之を執行はす、公儀の御作法を諸大名の真似たも宜しからさることなり、此以後諸大名にても公儀を真似て刑法を執行はゝ御国に至りては必ず不埒出来すへし、其仔細は当時諸大名困究甚しけれは必す非道の過料を取るへし、惣して金銀のことにては人の争ひも怨みも出来るものなり、年貢抔は昔より強くも取ることもあれども、先年伯嗜安芸肥後にては年貢のことにて百姓一揆程のことありしと承はる、質地の捌き御役人のかるはづみに申し出てたることの行れて山形にては事出来せり、右の過料は異国にも日本にも古例なきことなれば、遠国の人は必す心服すまじきことなり、当時世界の奢り甚しきより諸々の悪事生する故、上に倹約を御用ひ遊はさるれは、御役人どもは金を御好み成さるゝと了簡したるやらん、宜からさる事を申し立てゝ取行ふことあるなり、
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『墨子』尚賢下是の故に古の聖王の天下を治むるや、其の富ます所、其の貴くする所は、未だ必ずしも王公大人の骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者ならざるなり。是の故に昔者、舜は歴山に耕し、河瀕に陶し、雷澤に漁し、常陽に灰す。堯、之を服澤の陽に得て、立てて天子と為し、天下の政に接して天下の民を治めしむ。昔、伊尹は莘氏の女の師僕と為り、庖人と為らしめらる。湯、得て之を舉げ、立てて三公と為し、天下の政に接して天下の民を治めしむ。昔者、傅説は北海の洲、圜土の上に居り、褐を衣、索を帯び、傅巖の城に庸築す。武丁、得て之を舉げ、立てて三公と為し、之をして天下の政に接して天下の民を治めしむ。是の故に昔者、堯の舜を舉ぐるや、湯の伊尹を舉ぐるや、武丁の傅説を舉ぐるや、豈に骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者を以て為さんや。唯だ其の言に法り、其の謀を用い、其の道を行い、上は以て天を利す可く、中は以て鬼を利す可く、下は以て人を利す可し。是の故に推して之を上せるなり。

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