塩鉄論 / 錯幣篇
大夫曰:「湯、文繼衰、漢興乘弊。一質一文、非茍易常也。俗弊更法、非務變古也、亦所以救失扶衰也。故教與俗改、弊與世易。夏后以玄貝、周人以紫石、後世或金錢刀布。物極而衰、終始之運也。故山澤無徵、則君臣同利、刀幣無禁、則奸貞並行。夫臣富則相侈、下專利則相傾也。」
新字:大夫曰:「湯、文継衰、漢興乗弊。一質一文、非苟易常也。俗弊更法、非務変古也、亦所以救失扶衰也。故教与俗改、弊与世易。夏后以玄貝、周人以紫石、後世或金銭刀布。物極而衰、終始之運也。故山沢無徴、則君臣同利、刀幣無禁、則奸貞並行。夫臣富則相侈、下専利則相傾也。」
書き下し
大夫曰く、湯・文は衰を繼ぎ、漢は弊に乘じて興る。一質一文は、茍くも常を易うるに非ざるなり。俗弊れて法を更むるは、古を變ずるを務むるに非ざるなり、亦た失を救い衰を扶くる所以なり。故に教は俗と改まり、弊は世と易わる。夏后は玄貝を以てし、周人は紫石を以てし、後世は或いは金錢刀布たり。物極まりて衰うるは、終始の運なり。故に山澤に徵無ければ、則ち君臣利を同じくし、刀幣に禁無ければ、則ち奸貞並び行なわる。夫れ臣富めば則ち相い侈り、下利を專らにすれば則ち相い傾くなり。
現代語訳
大夫が言った。「湯王と文王は衰えた世を継ぎ、漢は疲弊した秦のあとに興った。ある時代は質実を、ある時代は文飾を尊ぶが、それはいい加減に常道を変えているのではない。風俗が崩れたから法を改めるのであって、古いものを変えたくて変えるのではない。過ちを正し衰えを支えるためだ。だから教えは風俗とともに改まり、弊害は世とともに移り変わる。夏の王は黒い貝を、周の人は紫石を用い、後の世では金銭や刀布の形の貨幣を使った。物事は極まれば衰えるのが、始まりと終わりの巡りである。だから山や沢に税を課さなければ君臣が利を取り合うことになり、貨幣の鋳造に禁令がなければ、まともな者と不正な者が並び立ってしまう。そもそも臣下が富めば互いに奢りを競い、下の者が利を独占すれば互いに傾け合うことになる」
解説
この章句が説くこと
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