塩鉄論 / 國疾篇
大夫色少寬、面文學而蘇賢良曰:「窮巷多曲辯、而寡見者難喻。文學守死溟涬之語、而終不移。夫往古之事、昔有之語、己可睹矣。今以近世觀之、自以目有所見、耳有所聞、世殊而事異。文、景之際、建元之始、民樸而歸本、吏廉而自重、殷殷屯屯、人衍而家富。今政非改而教非易也、何世之彌薄而俗之滋衰也!吏即少廉、民即寡恥、刑非誅惡、而奸猶不止。世人有言:『鄙儒不如都士。』文學皆出山東、希涉大論。子大夫論京師之日久、願分明政治得失之事、故所以然者也。」
新字:大夫色少寛、面文学而蘇賢良曰:「窮巷多曲弁、而寡見者難喩。文学守死溟涬之語、而終不移。夫往古之事、昔有之語、己可睹矣。今以近世観之、自以目有所見、耳有所聞、世殊而事異。文、景之際、建元之始、民樸而帰本、吏廉而自重、殷殷屯屯、人衍而家富。今政非改而教非易也、何世之弥薄而俗之滋衰也!吏即少廉、民即寡恥、刑非誅悪、而奸猶不止。世人有言:『鄙儒不如都士。』文学皆出山東、希渉大論。子大夫論京師之日久、願分明政治得失之事、故所以然者也。」
書き下し
大夫色少しく寬やかに、文學に面して賢良に蘇して曰く、窮巷に曲辯多く、寡見の者は喩し難し。文學は溟涬の語を守死して、終に移らず。夫れ往古の事、昔之れ有りの語は、己に睹るべし。今近世を以て之を觀るに、自ら目に見る所有り、耳に聞く所有るを以てす、世殊にして事異なる。文・景の際、建元の始め、民は樸にして本に歸し、吏は廉にして自ら重んず、殷殷屯屯として、人衍かにして家富む。今政改まるに非ずして教易わるに非ざるなり、何ぞ世のいよいよ薄くして俗のますます衰うるや。吏は即ち廉少なく、民は即ち恥寡なし、刑は惡を誅するに非ずして、奸猶お止まず。世人に言有り、『鄙儒は都士に如かず』と。文學は皆山東より出づ、大論に涉ること希なり。子大夫は京師を論ずること日久し、願わくは政治得失の事、故に然る所以の者を分明にせよ。
現代語訳
大夫は少し表情を和らげ、文学のほうを向きつつ賢良に向き直って言った。「路地裏には理屈をこねる者が多く、見聞の狭い者には話が通じにくい。文学は霧のようにつかみどころのない言葉を死守して、ついに動かない。そもそも大昔の事、昔こうだったという話は、もう見飽きた。いま近い時代で見てみよう。自分の目で見たこと、耳で聞いたことがある。世が違えば事も違う。文帝・景帝のころ、建元の初めには、民は素朴で本業に戻り、役人は清廉で自らを重んじ、盛んに満ち足りて、人には余裕があり家は富んでいた。いま政治が変わったわけでも、教えが変わったわけでもない。それなのに、どうして世はますます薄くなり、風俗はますます衰えるのか。役人には清廉さが減り、民には恥が減った。刑は悪を誅しているのに、不正はやはり止まらない。世間には『田舎の儒者は都の士に及ばない』という言葉がある。文学はみな山東の出身で、大きな議論に触れることもまれだ。あなた方賢良は都のことを長く論じてきた。政治の得失について、なぜそうなったのかを、はっきりと述べてほしい」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 礼書故に堅革利兵は以て勝つと為すに足らず、高城深池は以て固しと為すに足らず、厳令繁刑は以て威と為すに足らず。其の道に由れば則ち行はれ、其の道に由らざれば則ち廃る。楚人は鮫革犀兕、以て甲と為す所、堅きこと金石の如し。宛の鉅鉄の施、鉆きこと蜂蠆の如く、軽利剽遬、卒かなること熛風の如し。然れども兵は垂涉に殆く、唐昧死す。荘蹻起こり、楚分かれて四参と為る。是れ豈に堅革利兵無からんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。汝潁以て険と為し、江漢以て池と為し、之を阻むに鄧林を以てし、之を縁らすに方城を以てす。然れども秦師鄢郢に至り、挙ぐること槁を振るふが若し。是れ豈に固塞険阻無からんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。紂は比干を剖き、箕子を囚へ、炮格を為り、無辜を刑殺し、時の臣下懍然として、其の命を必する莫し。然れども周師至りて、令下に行はれず、其の民を用ふる能はず。是れ豈に令厳ならず、刑陖ならざらんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。古者の兵は、戈矛弓矢のみ、然れども敵国試みるを待たずして詘す。城郭集めず、溝池掘らず、固塞樹てず、機変張らず、然れども国晏然として外を畏れずして固き者は、他の故無し、道を明らかにして之を均分し、時に使ひて誠に之を愛すれば、則ち下之に応ずること景響の如し。命に由らざる者有りて、然る後に之を俟つに刑を以てすれば、則ち民罪を知る。故に一人を刑して天下服す。罪人其の上を尤めず、罪の己に在るを知ればなり。是の故に刑罰省きて威行はるること流るるが如し、他の故無し、其の道に由るが故なり。故に其の道に由れば則ち行はれ、其の道に由らざれば則ち廃る。古者帝堯の天下を治むるや、蓋し一人を殺し二人を刑して天下治まる。伝に曰く、「威厲しくして試みず、刑措きて用ひず」と。
-
説苑・說叢王者、下に臨みて衆を治むる所以を知れば、則ち群臣畏服す。言を聽き事を受くる所以を知れば、則ち蔽欺せられず。萬民を安利する所以を知れば、則ち海內必ず定まる。忠孝もて上に事うる所以を知れば、則ち臣子の行備わる。凡そ劫殺せらるる所以の者は、道術を知りて以て其の臣下を御せざればなり。凡そ吏其の職に勝れば則ち事治まり、事治まれば則ち利生ず。其の職に勝えざれば則ち事亂れ、事亂るれば則ち害成る。
-
『呻吟語』外篇・品藻・人の自然の情を得るは難し人の不敢不然の情を得るは易く、人の自然の情を得るは難し。秦・漢而後は皆な人の不敢不然の情を得る者なり。
-
『政談』武家旅宿の境遇を改むる事偖田舎の締りなく成たり、田舎の締りと云ふは昔は在々に武家満ち〳〵たれは百姓共我儘ならす、百年以来地頭知行所に住まさる故かしらをさるゝもの無くて、百姓特の外に我儘になりたり、御旗本の武士小身なれは自身住まずしては江戸より知行所の仕置することならす、代官なと遣はすにも小身者の家来若とう風情のものなれは何の用にも立たす、自から私領をも公儀より治むるやうになりて、弥々地頭を軽することに今はなりたり、人殺なとあるときも江戸へ申し来り、江戸より詮議する故日数延ひて詮議手延になり、実否も知れぬことになれるもの多し、又盗人なと捕へても江戸へ連れ参れは途中の物入り多く、江戸にて詮議六ケ敷く手間取る故物入多く、又作の時節農業の邪魔になる故其の儘になして申し出です、又博奕うち三笠付けなとの御触有ても右の仔細なれば仇をさるゝことを厭ひて申出てす、又目あかしなと云ふやうなるたくひも田舎へ行きて様々の悪事をすれとも、之をも右の仔細にて申し出てす、何事も公儀の御仕置は江戸はかりのやうにて田舎へは行きわたらぬ事みな武家のすまぬ故なり、
-
『墨子』號令國を安んずるの道は、道、地に任ずるより始まる。地、其の任を得れば則ち功成り、地、其の任を得ざれば則ち勞して功無し。人も亦た此を為す。備え、先に具えざる者は以て主を安んずる無し。吏卒民、多く心の一ならざる者は、皆な其の将長に在り。諸そ賞罰を行い及び治むること有る者は、必ず公より出づ。王、數しば人をして行き勞わしめ、邉城關塞を守り、蠻夷に備うるの勞苦なる者に賜い、其の守率の財用の餘り有ると足らざるとを舉げ、地形の當に邉を守るべき者、其の器備の常に多き者を舉ぐ。邉の縣邑は、其の樹木の惡しきを視れば、則ち用を少なくす。田、辟けざれば、食を少なくす。大屋・草盖無ければ、乗を用うるを少なくす。財多ければ、民、食を好む。内堞を為り、内に行棧し、器備を其の上に置く。城上の吏・卒・養は、皆な舍を道の内に為り、各おの其の隔部に當たる。養は十二人。符を為る者を養吏一人と曰い、諸門を辦護す。門者及び守禁有る者は、皆な事無き者をして其の旁らに稽留するを得しむる無かれ。令に従わざる者は戮す。敵人、但だ至らば、千丈の城は、必ず郭、之に近づき、主人、利し。千丈を盡くさざる者は迎うる勿かれ。敵の居曲、衆少を視て之に應ず。此れ守城の大體なり。其の此の中に在らざる者は、皆な心術と人事と之を參う。
-
史記 平津侯主父列伝乃ち辺境の民をして獘靡愁苦して離心有らしめ、将吏相疑ひて外に市す、故に尉佗・章邯以て其の私を成すを得たり。夫れ秦の政の行はれざる所以の者は、権二子に分かるればなり、此れ得失の効なり。故に周書に曰く「安危は令を出すに在り、存亡は用ふる所に在り」と。願はくは陛下詳らかに之を察し、少しく意を加へて熟慮せよ。是の時趙人徐楽・斉人厳安倶に上書して世務を言ふ、各々一事。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る