塩鉄論 / 相刺篇
文學曰:「禹戚洪水、身親其勞、澤行路宿、過門不入。當此之時、簪墮不掇、冠掛不顧、而暇耕乎?孔子曰:『詩人疾之不能默、丘疾之不能伏。』是以東西南北七十說而不用丙、然後退而修王道、作春秋、垂之萬載之後、天下折中焉、豈與匹夫匹婦耕織同哉!傳曰:『君子當時不動、而民無觀也。』故非君子莫治小人、非小人無以養君子、不當耕織為匹夫匹婦也。君子耕而不學、則亂之道也。」
新字:文学曰:「禹戚洪水、身親其労、沢行路宿、過門不入。当此之時、簪堕不掇、冠掛不顧、而暇耕乎?孔子曰:『詩人疾之不能黙、丘疾之不能伏。』是以東西南北七十説而不用丙、然後退而修王道、作春秋、垂之万載之後、天下折中焉、豈与匹夫匹婦耕織同哉!伝曰:『君子当時不動、而民無観也。』故非君子莫治小人、非小人無以養君子、不当耕織為匹夫匹婦也。君子耕而不学、則乱之道也。」
書き下し
文學曰く、禹は洪水を戚え、身親ら其の勞をす、澤に行き路に宿り、門を過ぎて入らず。此の時に當たりて、簪堕つるも掇わず、冠掛かるも顧みず、而して耕すに暇あらんや。孔子曰く、『詩人は之を疾みて默する能わず、丘は之を疾みて伏する能わず』と。是を以て東西南北に七十たび說きて用いられず、然る後に退きて王道を修め、春秋を作り、之を萬載の後に垂る、天下焉に折中す、豈に匹夫匹婦の耕織と同じからんや。傳に曰く、『君子當時に動かざれば、民に觀る無し』と。故に君子に非ざれば小人を治むる莫く、小人に非ざれば以て君子を養う無し、耕織を當てて匹夫匹婦と為すべからざるなり。君子耕して學ばざれば、則ち亂るるの道なり。
現代語訳
文学が言った。「禹は洪水を憂え、自ら労働に加わった。沢を歩き道端に泊まり、自分の家の門の前を通っても入らなかった。その時、簪が落ちても拾わず、冠が枝に引っかかっても振り返らなかった。どこに耕す暇があろうか。孔子は言った、詩人はそれを憎んで黙っていられず、私もそれを憎んで身を伏せていられない、と。だから東西南北を回って七十度説いても用いられなかった。そこで退いて王道を修め、『春秋』を作り、それを万年の後まで残した。天下はそれを判断の基準としている。ただの男女の耕作や機織りと同じであろうか。伝にいう、君子がその時に動かなければ、民には見るべき手本がない、と。だから君子でなければ小人を治める者はなく、小人でなければ君子を養う者もない。耕作と機織りを当てはめて、君子をただの男女と同じにすることはできない。君子が耕すだけで学ばなければ、それは乱れる道である」
解説
この章句が説くこと
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