塩鉄論 / 地廣篇
文學曰:「古者、天子之立於天下之中、縣內方不過千里、諸侯列國、不及不食之地、禹貢至於五千里、民各供其君、諸侯各保其國、是以百姓均調、而繇役不勞也。今推胡、越數千里、道路回避、士卒勞罷。故邊民有刎頸之禍、而中國有死亡之患、此百姓所以囂囂而不默也。夫治國之道、由中及外、自近者始。近者親附、然後來遠、百姓內足、然後恤外。故群臣論或欲田輪臺、明主不許、以為先救近務及時本業也。故下詔曰:『當今之務、在於禁苛暴、止擅賦、力本農。』公卿宜承意、請減除不任、以佐百姓之急。今中國弊落不憂、務在邊境。意者地廣而不耕、多種而不耨、費力而無功、詩云:『無田甫田、維莠驕驕。』其斯之謂歟。」
新字:文学曰:「古者、天子之立於天下之中、県内方不過千里、諸侯列国、不及不食之地、禹貢至於五千里、民各供其君、諸侯各保其国、是以百姓均調、而繇役不労也。今推胡、越数千里、道路回避、士卒労罷。故辺民有刎頸之禍、而中国有死亡之患、此百姓所以囂囂而不黙也。夫治国之道、由中及外、自近者始。近者親附、然後来遠、百姓内足、然後恤外。故群臣論或欲田輪台、明主不許、以為先救近務及時本業也。故下詔曰:『当今之務、在於禁苛暴、止擅賦、力本農。』公卿宜承意、請減除不任、以佐百姓之急。今中国弊落不憂、務在辺境。意者地広而不耕、多種而不耨、費力而無功、詩云:『無田甫田、維莠驕驕。』其斯之謂歟。」
書き下し
文學曰く、古者は、天子の天下の中に立つや、縣內は方千里に過ぎず、諸侯の列國は、不食の地に及ばず、禹貢は五千里に至る、民は各々其の君に供し、諸侯は各々其の國を保つ、是を以て百姓均調して、繇役勞せざるなり。今胡・越を推すこと數千里、道路回避して、士卒勞れ罷る。故に邊民に刎頸の禍有り、而して中國に死亡の患い有り、此れ百姓の囂囂として默せざる所以なり。夫れ國を治むるの道は、中より外に及び、近き者より始む。近き者親附し、然る後に遠きを來たす、百姓內に足り、然る後に外を恤む。故に群臣の論に或いは輪臺に田せんと欲す、明主許さず、以為えらく、先ず近務を救い時に及びて本業をせしむ、と。故に詔を下して曰く、『當今の務めは、苛暴を禁じ、擅賦を止め、本農に力むるに在り』と。公卿は宜しく意を承け、不任を減除して、以て百姓の急を佐くるを請うべし。今中國の弊落を憂えずして、務めは邊境に在り。意うに地廣くして耕さず、多く種えて耨らず、力を費やして功無きか。詩に云う、『甫田に田する無かれ、維れ莠驕驕たり』と。其れ斯れの謂いか。
現代語訳
文学が言った。「昔は、天子が天下の中央に立つとき、直轄領は千里四方を超えず、諸侯の国も作物の採れない土地までは及ばなかった。禹貢の記述でも五千里までである。民はそれぞれ自分の君に供し、諸侯はそれぞれ自分の国を保った。だから民の負担は均しく、労役も苦にならなかった。いま匈奴や越を数千里の彼方まで押しやり、道は遠回りで、兵は疲れ果てている。だから辺境の民には首を刎ねられる災いがあり、中原には死に絶える憂いがある。これが民が騒いで黙っていない理由だ。そもそも国を治める道は、中央から外へ及び、近いところから始める。近い者が親しみ従い、そのうえで遠い者が来る。民が内側で足り、そのうえで外を憐れむ。だから臣下の議論に輪台に屯田を置こうという案が出たとき、明君はお許しにならなかった。まず近い務めを救い、時機に合わせて本業をやらせるべきだ、と考えられたのだ。だから詔を下してこう言われた、いまの務めは、苛酷を禁じ、勝手な賦課を止め、本業の農に力を注ぐことにある、と。公卿はその意を受けて、不要な官職を減らし民の急を助けたいと願い出るべきである。それなのにいま、中原が崩れ落ちているのを憂えず、務めは辺境にある。思うに、土地を広げても耕さず、多く種を蒔いても草を取らず、力を費やして成果がない、ということではないか。『詩経』にいう、大きな田を耕そうとするな、雑草が勢いよく茂るだけだ、と。まさにこれを言っているのだ」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・告子章句上孟子曰く、「人の身に於けるや、愛する所を兼ぬ。愛する所を兼ぬれば、則ち養う所を兼ぬ。無尺寸の膚も愛せざること無ければ、則ち尺寸の膚も養わざること無きなり。其の善不善を考うる所以の者は、豈に他有らんや。己に於て之を取るのみ。體に貴賤有り、小大有り。小を以て大を害すること無く、賤を以て貴を害すること無かれ。其の小を養う者は小人為り、其の大を養う者は大人為り。今場師有り。其の梧檟(ゴ・カ)を舎てて、其の樲棘(ジ・キョク)を養わば、則ち賤場師と為さん。其の一指を養いて、而も其の肩背を失いて知らざれば、則ち狼疾人と為さん。飲食の人は、則ち人之を賤む。其の小を養いて以て大を失うが為なり。飲食の人も失うこと有る無ければ、則ち口腹豈に適だ尺寸の膚の為のみならんや。」
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孟子・告子章句上孟子曰く、「今、無名の指、屈して信びざる有り。疾痛して事に害あるに非ざるなり。如し能く之を信ばす者有れば、則ち秦楚の路をも遠しとせず。指の人に若かざるが為なり。指の人に若かざるは、則ち之を惡むことを知る。心の人に若かざるは、則ち惡むことを知らず。此を之れ類を知らずと謂うなり。」
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『韓非子』功名第二十八人臣の憂は一を得ざるに在り、故に曰く、「右手圓を書き、左手方を書けば、兩つながら成る能わず。」
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史記 伍子胥列伝其の後五年、呉王、斉の景公死して大臣寵を争ひ、新君弱しと聞き、乃ち師を興して北のかた斉を伐つ。伍子胥諫めて曰く、「句踐食に味を重ねず、死を弔ひ疾を問ふは、且に用ゐる所有らんと欲すればなり。此の人死せずんば、必ず呉の患ひと為らん。今呉の越有るは、猶ほ人の腹心の疾有るがごときなり。而るに王越を先にせずして乃ち斉を務むるは、亦た謬らずや」と。呉王聴かず、斉を伐ち、大いに斉の師を艾陵に敗り、遂に鄒・魯の君を威して以て帰る。益々子胥の謀を疏んず。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「知者は知らざること無きなり。當に務むべきを之れ急と為す。仁者は愛せざること無きなり。賢を親しむを急にするを之れ務と為す。堯舜の知にして物に遍からざるは、先務を急にすればなり。堯舜の仁にして人を愛するに遍らざるは、賢を親しむを急にすればなり。三年の喪を能くせずして、緦(シ)・小功を之れ察し、放飯・流歠(セツ)して、齒決すること無きを問う、是を之れ務めを知らずと謂う。」