塩鉄論 / 殊路篇
文學曰:「西子蒙以不潔、鄙夫掩鼻、惡人盛飾、可以宗祀上帝。使二人不涉聖人之門、不免為窮夫、安得卿大夫之名?故砥所以致於刃、學所以盡其才也。孔子曰:『觚不觚、觚哉、觚哉!』故人事加則為宗廟器、否則斯養之爨材。幹、越之鋌不厲、匹夫賤之、工人施巧、人主服而朝也。夫醜者自以為姣、故飾、愚者自以為知、故不學。觀笑在己而不自知、不好用人、自是之過也。」
新字:文学曰:「西子蒙以不潔、鄙夫掩鼻、悪人盛飾、可以宗祀上帝。使二人不渉聖人之門、不免為窮夫、安得卿大夫之名?故砥所以致於刃、学所以尽其才也。孔子曰:『觚不觚、觚哉、觚哉!』故人事加則為宗廟器、否則斯養之爨材。幹、越之鋌不厲、匹夫賤之、工人施巧、人主服而朝也。夫醜者自以為姣、故飾、愚者自以為知、故不学。観笑在己而不自知、不好用人、自是之過也。」
書き下し
文學曰く、西子も蒙るに不潔を以てすれば、鄙夫も鼻を掩う、惡人も盛りに飾れば、以て上帝を宗祀すべし。二人をして聖人の門を涉らざらしめば、窮夫たるを免れず、安んぞ卿大夫の名を得んや。故に砥は刃を致す所以、學は其の才を盡くす所以なり。孔子曰く、『觚觚ならず、觚ならんや、觚ならんや』と。故に人事加われば則ち宗廟の器と為り、否らざれば則ち斯養の爨材なり。幹・越の鋌も厲がざれば、匹夫も之を賤しむ、工人巧を施せば、人主服して朝す。夫れ醜き者は自ら以て姣しと為す、故に飾る、愚かなる者は自ら以て知と為す、故に學ばず。笑いの己に在るを觀て自ら知らず、人を用うるを好まざるは、自ら是とするの過ちなり。
現代語訳
文学が言った。「西施でも汚れをかぶれば、粗野な男でも鼻をふさぐ。醜い者でも盛んに装えば、天帝を祀る儀式にも出られる。あの二人が聖人の門をくぐらなかったなら、行き詰まった男で終わり、どうして卿大夫の名を得られただろうか。だから砥石は刃をつけるためのものであり、学問はその才を出し切らせるためのものだ。孔子は言った、觚が觚らしくない。これが觚か、これが觚か、と。だから人の手が加われば宗廟の祭器となり、加わらなければ下働きの薪になる。呉や越の地金も、研がなければ庶民でさえ軽んじる。職人が技を施せば、君主が佩いて朝廷に出る。そもそも醜い者は自分を美しいと思うから飾り、愚かな者は自分を知恵があると思うから学ばない。笑われているのが自分だと分かっていない。人を用いることを好まないのは、自分を正しいとする過ちである」
解説
この章句が説くこと
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『塩鉄論』殊路篇文學曰く、學に非ざれば以て身を治むる無く、禮に非ざれば以て德を輔くる無し。和氏の璞は、天下の美寶なり、礛諸の工を待ちて後に明らかなり。毛嬙は、天下の姣人なり、香澤脂粉を待ちて後に容あり。周公は、天下の至聖人なり、賢師學問を待ちて後に通ず。今齊世庸士の人は、學問を好まず、專ら己の愚を以て巨任を荷負す、橶舳無くして、江海を濟りて大風に遭い、百仞の淵に漂沒し、東流無崖の川なるが若し、安んぞ沮みて止むを得んや。
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『塩鉄論』殊路篇大夫曰く、性に剛柔有り、形に好惡有り、聖人は因る能うも改むる能わず。孔子は外に二三子の服を變うるも、而も其の心を革むる能わず。故に子路は長劍を解き、危冠を去り、節を夫子の門に屈す、然れども齊を攝して師友たるも、行行爾として、鄙心猶お存す。宰予は晝寢ね、三年の喪を損ぜんと欲す。孔子曰く、『糞土の墻は、杇るべからず』、『由の若きは其の死を得ざらん、然り』と。故に內に其の質無くして外に其の文を學ぶは、賢師良友有りと雖も、脂に畫き氷に鏤むるが若し、日を費やし功を損ず。故に良師も戚施を飾る能わず、香澤も嫫母を化する能わざるなり。
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『塩鉄論』殊路篇大夫曰く、至美の素璞は、物能く飾る莫きなり。至賢は真を保つ、偽文能く增す莫きなり。故に金玉は琢たず、美珠は畫かず。今仲由・冉求は檀柘の材、隋・和の璞無くして、強いて之を文る、譬えば朽木を雕りて鈆刀を礪ぎ、嫫母を飾り土人を畫くが若し。被るに五色を以てし、斐然として章を成すも、行潦流波に遭うに及べば、則ち沮む。夫れ重ねて古道を懷き、詩・書を枕籍するも、危うきを安んずる能わず、亂れたるを治むる能わず、郵里に雞を逐うも、雞も亦た黨無きか。
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『塩鉄論』利議篇大夫曰く、色厲しくして內荏なるは、真を亂す者なり。文表にして枲裏なるは、實を亂す者なり。文學は裒衣博帶にして、周公の服を竊み、鞠躬踧踖して、仲尼の容を竊み、議論稱誦して、商・賜の辭を竊み、刺譏言治して、管・晏の才を竊む。心は卿相を卑しみ、志は萬乘を小とす。之に政を授くるに及びて、昏亂して治まらず。故に言を以て人を舉ぐるは、毛を以て馬を相るが若し。此れ其の多く舉に稱わざる所以なり。詔策に曰く、『朕宇內の士を嘉す、故に詳らかに四方の豪俊文學博習の士を延き、官祿を超遷す』と。言う者は必ずしも德有らず、何ぞや。之を言うは易くして之を行うは難ければなり。其の車を舍てて其の牛を識る有り、其の言わずして多く事を成すを貴べばなり。吳鐸は其の舌を以て自ら破れ、主父偃は其の舌を以て自ら殺す。鶡鴠の夜鳴くは、明に益無く、主父の鴟のごとく鳴くは、死に益無し。有司の利を成さんと欲するに非ず、文學の舊術に桎梏せられ、間言に牽かるる者なり。
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『顔氏家訓』勉學客有りて主人を難じて曰く、「吾強弩長戟もて、罪を誅し民を安んじ、以て公侯を取る者有るを見る。文義もて吏に習い、時を匡し国を富まし、以て卿相を取る者有り。学は古今に備わり、才は文武を兼ぬるも、身に禄位無く、妻子飢寒する者は、勝げて数うべからず。安んぞ学を貴ぶに足らんや」と。主人対えて曰く、「夫れ命の窮達は、猶お金玉木石のごときなり。修むるに学芸を以てするは、猶お磨瑩雕刻のごときなり。金玉の磨瑩は、自ら其の礦璞を美とし、木石の段塊は、自ら其の雕刻を醜とす。安んぞ木石の雕刻、乃ち金玉の礦璞に勝ると言うべけんや。学有るの貧賤を以て、学無きの富貴に比すべからざるなり。
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『塩鉄論』利議篇文學曰く、能く之を言い、能く之を行う者は、湯・武なり。能く言いて、行う能わざる者は、有司なり。文學は周公の服を竊み、有司は周公の位を竊む。文學は舊術に桎梏せられ、有司は財利に桎梏せらる。主父偃は舌を以て自ら殺し、有司は利を以て自ら困しむ。夫れ驥の才は千里なるも、造父に非ざれば使う能わず、禹の知は萬人なるも、舜相と為るに非ざれば用うる能わず。故に季桓子政を聽きて、柳下惠忽然として見えず、孔子司寇と為りて、然る後に悖熾なり。驥は、之を舉ぐるは伯樂に在り、其の功は造父に在り。造父轡を攝れば、馬に駑良無く、皆道を取るべし。周公の時、士に賢不肖無く、皆與に治を言うべし。故に禦の良き者は善く馬を調え、相の賢なる者は善く士を使う。今異才を舉げて臧騶をして之を禦せしむ、是れ猶お驥を鹽車に扼して之に責めて疾からしむるがごとし。此れ賢良・文學の多く舉に稱わざる所以なり。