塩鉄論 / 訟賢篇
大夫曰:「今之學者、無太公之能、騏驥之才、有以蜂蠆介毒而自害也。東海成颙、河東胡建是也。二子者以術蒙舉、起卒伍、為縣令。獨非自是、無與合同。引之不來、推之不往、狂狷不遜、忮害不恭、刻轢公主、侵陵大臣。知其不可、而強行之、欲以幹名。所由不軌、果沒其身。未睹功業所至、而見東觀之殃、身得重罪、不得以壽終。狡而以為知、訐而以為直、不遜以為勇、其遭難、故亦宜也。」
新字:大夫曰:「今之学者、無太公之能、騏驥之才、有以蜂蠆介毒而自害也。東海成颙、河東胡建是也。二子者以術蒙舉、起卒伍、為県令。独非自是、無与合同。引之不来、推之不往、狂狷不遜、忮害不恭、刻轢公主、侵陵大臣。知其不可、而強行之、欲以幹名。所由不軌、果没其身。未睹功業所至、而見東観之殃、身得重罪、不得以寿終。狡而以為知、訐而以為直、不遜以為勇、其遭難、故亦宜也。」
書き下し
大夫曰く、今の學者は、太公の能、騏驥の才無くして、蜂蠆介毒を以て自ら害する有り。東海の成顒、河東の胡建是なり。二子は術を以て舉を蒙り、卒伍より起こりて、縣令と為る。獨り是ならざるを非とし、與に合同する無し。之を引くも來たらず、之を推すも往かず、狂狷にして遜らず、忮害にして恭ならず、公主を刻轢し、大臣を侵陵す。其の不可を知りて、強いて之を行い、以て名を幹めんと欲す。由る所軌ならず、果たして其の身を沒す。未だ功業の至る所を睹ずして、東觀の殃を見る、身は重罪を得、壽を以て終わるを得ず。狡にして以て知と為し、訐にして以て直と為し、不遜にして以て勇と為す、其の難に遭うは、故に亦た宜なるかな。
現代語訳
大夫が言った。「いまの学者は、太公望の能力も駿馬の才もないのに、蜂や蠍のような毒で自分を害している。東海の成顒、河東の胡建がそれだ。この二人は学術によって登用され、下級の兵から身を起こして県令となった。自分だけが正しいとして他を否定し、誰とも合わせることがない。引いても来ず、押しても行かない。狂って偏り、へりくだらず、人を害して恭しくない。公主を踏みつけ、大臣を侵した。それが通らないと知りながら強引に行い、それで名を上げようとした。拠りどころが筋道を外れていたので、案の定その身を滅ぼした。功業の行き着く先を見ないうちに、東観での災いを見た。身は重罪を得て、天寿を全うできなかった。狡いのを知恵と呼び、人の秘密を暴くのを直と呼び、へりくだらないのを勇と呼ぶ。彼らが難に遭ったのも、当然というべきだ」
解説
この章句が説くこと
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