塩鉄論 / 遵道篇
丞相史進曰:「晉文公譎而不正、齊桓公正而不譎、所由不同、俱歸於霸。而必隨古不革、襲故不改、是文質不變、而椎車尚在也。故或作之、或述之、然後法令調於民、而器械便於用也。孔對三君殊意、晏子相三君異道、非茍相反、所務之時異也。公卿既定大業之路、建不竭之本、願無顧細故之語、牽儒、墨論也。」
新字:丞相史進曰:「晋文公譎而不正、斉桓公正而不譎、所由不同、倶帰於覇。而必随古不革、襲故不改、是文質不変、而椎車尚在也。故或作之、或述之、然後法令調於民、而器械便於用也。孔対三君殊意、晏子相三君異道、非苟相反、所務之時異也。公卿既定大業之路、建不竭之本、願無顧細故之語、牽儒、墨論也。」
書き下し
丞相史進みて曰く、晉の文公は譎にして正ならず、齊の桓公は正にして譎ならず、由る所同じからざるも、俱に霸に歸す。而るに必ず古に隨いて革めず、故に襲いて改めざれば、是れ文質變ぜずして、椎車尚お在るなり。故に或いは之を作り、或いは之を述ぶ、然る後に法令は民に調い、器械は用に便なり。孔子は三君に對して意を殊にし、晏子は三君に相たりて道を異にす、茍くも相い反するに非ず、務むる所の時異なればなり。公卿は既に大業の路を定め、不竭の本を建つ、願わくは細故の語を顧みて、儒・墨の論に牽かるる無からんことを。
現代語訳
丞相史が進み出て言った。「晋の文公は権謀に長けて正しくなく、斉の桓公は正しくて権謀を用いなかった。拠りどころは違っていたが、どちらも覇者となった。それなのに必ず古に従って改めず、旧例を襲って変えないというなら、それは飾りも素地も変わらないまま、原始的な車がまだ使われているようなものだ。だからある者が新たに作り、ある者がそれを受け継いで述べる。そうしてはじめて法令は民に合い、道具は使いやすくなる。孔子は三人の君主に対してそれぞれ違うことを述べ、晏子は三人の君主に仕えてそれぞれ違う道を行った。いい加減に矛盾したのではない。努めるべき時が違ったからだ。公卿はすでに大事業の道筋を定め、尽きることのない基礎を築いた。どうか些末な言葉を気にして、儒家や墨家の議論に引きずられないでいただきたい」
解説
この章句が説くこと
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