塩鉄論 / 褒賢篇
大夫曰:「文學高行、矯然若不可卷、盛節絜言、皦然若不可涅。然戍卒陳勝釋挽輅、首為叛逆、自立張楚、素非有回、由處士之行、宰相列臣之位也。奮於大澤、不過旬月、而齊、魯儒墨縉紳之徒、肆其長衣、─長衣、容衣也。─負孔氏之禮器詩、書、委質為臣。孔甲為涉博士、卒俱死陳、為天下大笑。深藏高逝者固若是也?」
新字:大夫曰:「文学高行、矯然若不可巻、盛節絜言、皦然若不可涅。然戍卒陳勝釈挽輅、首為叛逆、自立張楚、素非有回、由処士之行、宰相列臣之位也。奮於大沢、不過旬月、而斉、魯儒墨縉紳之徒、肆其長衣、─長衣、容衣也。─負孔氏之礼器詩、書、委質為臣。孔甲為渉博士、卒倶死陳、為天下大笑。深蔵高逝者固若是也?」
書き下し
大夫曰く、文學は行い高く、矯然として卷くべからざるが若く、節盛んに言絜く、皦然として涅すべからざるが若し。然れども戍卒陳勝は挽輅を釋て、首めて叛逆を為し、自ら張楚を立つ、素より回・由の處士の行い、宰相列臣の位有るに非ざるなり。大澤に奮い、旬月に過ぎずして、齊・魯の儒墨縉紳の徒は、其の長衣を肆し、孔氏の禮器・詩・書を負い、質を委ねて臣と為る。孔甲は涉の博士と為り、卒に俱に陳に死し、天下の大笑と為る。深く藏れ高く逝る者は、固より是くの若きか。
現代語訳
大夫が言った。「文学は行いが高く、ぴんと張って巻き取れないかのようで、節義は盛んで言葉は清く、白く輝いて墨に染まらないかのようだ。ところが辺境の守備兵だった陳勝が荷車を捨てて、まっさきに反乱を起こし、自ら張楚を建てた。もともと顔回や子路のような隠士の行いがあったわけでも、宰相や重臣の位があったわけでもない。大沢郷で立ち上がって一月も経たないうちに、斉と魯の儒家や墨家の学者連中は、長い衣の裾を伸ばし、孔子の家の礼器と『詩』『書』を背負って、身柄を預けて臣下になった。孔甲は陳勝の博士となり、結局はともに陳で死に、天下の大笑いとなった。深く隠れ高く飛び去るというのは、もともとそういうことなのか」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『塩鉄論』論儒篇御史曰く、論語に、『其の身に親しく不善を為す者には、君子入らざるなり』と。是の言有りて行い從うに足らざるなり。季氏は無道を為し、其の君を逐い、其の政を奪う、而るに冉求・仲由は焉に臣たり。禮に、『男女は授受せず、爵を交えず』と。孔子は衛に適き、嬖臣の彌子瑕に因りて以て衛夫人に見ゆ、子路說ばず。子瑕は佞臣なり、夫子之に因るは、正に非ざるなり。男女交わらざるに、孔子南子に見ゆるは、禮に非ざるなり。禮義は孔氏に由る、且つ道を貶して以て容を求む、惡くんぞ其の事を釋てて退くに在らんや。
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論語・憲問篇子曰わく、君子はその言にして行に過ぐるを恥ず。
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論語・子路篇子貢問いて曰く、「何如なれば斯れ之を士と謂う可き。」子曰く、「己を行うに恥有り、四方に使いして、君命を辱めざる、士と謂う可し。」曰く、「敢えて其の次を問う。」曰く、「宗族孝を称し、郷党弟を称す。」曰く、「敢えて其の次を問う。」曰く、「言必ず信、行必ず果、硜硜然たる小人なるかな。抑々亦た以て次と為す可し。」曰く、「今の政に従う者は何如。」子曰く、「噫、斗筲の人、何ぞ算うるに足らんや。」
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論語・里仁篇子曰わく、古者は言を出さざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり。
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論語・憲問篇子曰わく、その言の怍(はじ)ざるは、これを為すこと難し。
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荀子・大略篇自ら其の行ひに嗛(あきた)らざる者は、言濫(らん)に過ぐ。古の賢人は、賤しくして布衣(ほい)為(た)り、貧しくして匹夫為り。食へば則ち饘粥(せんしゅく)も足らず、衣れば則ち豎褐(じゅかつ)も完(まった)からず。然り而して礼に非ざれば進まず、義に非ざれば受けず。安(いづ)くんぞ此れを取らん。