塩鉄論 / 殊路篇
文學曰:「非學無以治身、非禮無以輔德。和氏之璞、天下之美寶也、待礛諸之工而後明。毛嬙、天下之姣人也、待香澤脂粉而後容。周公、天下之至聖人也、待賢師學問而後通。今齊世庸士之人、不好學問、專以己之愚而荷負巨任、若無橶舳、濟江海而遭大風、漂沒於百仞之淵、東流無崖之川、安得沮而止乎?」
新字:文学曰:「非学無以治身、非礼無以輔徳。和氏之璞、天下之美宝也、待礛諸之工而後明。毛嬙、天下之姣人也、待香沢脂粉而後容。周公、天下之至聖人也、待賢師学問而後通。今斉世庸士之人、不好学問、専以己之愚而荷負巨任、若無橶舳、済江海而遭大風、漂没於百仞之淵、東流無崖之川、安得沮而止乎?」
書き下し
文學曰く、學に非ざれば以て身を治むる無く、禮に非ざれば以て德を輔くる無し。和氏の璞は、天下の美寶なり、礛諸の工を待ちて後に明らかなり。毛嬙は、天下の姣人なり、香澤脂粉を待ちて後に容あり。周公は、天下の至聖人なり、賢師學問を待ちて後に通ず。今齊世庸士の人は、學問を好まず、專ら己の愚を以て巨任を荷負す、橶舳無くして、江海を濟りて大風に遭い、百仞の淵に漂沒し、東流無崖の川なるが若し、安んぞ沮みて止むを得んや。
現代語訳
文学が言った。「学問がなければ身を治めることはできず、礼がなければ徳を助けることはできない。和氏の璧は天下の美しい宝だが、磨きの職人があってはじめて輝いた。毛嬙は天下の美女だが、香油と白粉があってはじめて容姿が整った。周公は天下の至高の聖人だが、賢い師と学問があってはじめて通じた。いま世に並ぶ凡庸な人物は、学問を好まず、ひたすら自分の愚かさのまま重い任務を背負っている。舵も櫂もないまま大河や海を渡って大風に遭い、百仞の淵に沈み、際限なく東へ流れていく川のようなものだ。どうして途中で止まれようか」
解説
素質論に、加工の必要で答えました。和氏の璧も磨かなければ石のままで、周公でさえ師と学問があってはじめて通じた、と。素材がよければ何もいらない、という前段の前提を崩しています。そして舵も櫂もない舟の比喩。学ばないまま重い任務を負うと、途中で止まる手立てがない。走り出してから修正できなくなる、という警告で、これは素質の話ではなく備えの話です。
この章句が説くこと
和氏の璞も礛諸の工を待ちて後に明らかなり学に非ざれば以て身を治むる無し己の愚を以て巨任を荷負す研鑽教育自覚
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