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塩鉄論 / 訟賢篇

文學曰:「二公懷精白之心、行忠正之道、直己以事上、竭力以徇公、奉法推理、不避強禦、不阿所親、不貴妻子之養、不顧私家之業。然卒不能免於嫉妒之人、為眾枉所排也。其所以累不測之刑而功不遂也。夫公族不正則法令不行、肱肱不正則奸邪興起。趙奢行之平原、範雎行之穰侯、二國治而兩家全。故君過而臣正、上非而下譏、大臣正、縣令何有?不反諸己而行非於人、執政之大失也。夫屈原之沉淵、遭子椒之譖也、管子得行其道、鮑叔之力也。今不睹鮑叔之力、而見汨羅之禍、雖欲以壽終、無其能得乎?」

新字:文学曰:「二公懐精白之心、行忠正之道、直己以事上、竭力以徇公、奉法推理、不避強禦、不阿所親、不貴妻子之養、不顧私家之業。然卒不能免於嫉妒之人、為眾枉所排也。其所以累不測之刑而功不遂也。夫公族不正則法令不行、肱肱不正則奸邪興起。趙奢行之平原、範雎行之穰侯、二国治而両家全。故君過而臣正、上非而下譏、大臣正、県令何有?不反諸己而行非於人、執政之大失也。夫屈原之沈淵、遭子椒之譖也、管子得行其道、鮑叔之力也。今不睹鮑叔之力、而見汨羅之禍、雖欲以寿終、無其能得乎?」

書き下し

文學曰く、二公は精白の心を懷き、忠正の道を行い、己を直くして以て上に事え、力を竭くして以て公に徇う、法を奉じ理を推し、強禦を避けず、親しむ所に阿らず、妻子の養を貴ばず、私家の業を顧みず。然れども卒に嫉妒の人を免るる能わず、眾枉の排する所と為るなり。其の測られざるの刑に累せられて功遂げざる所以なり。夫れ公族正しからざれば則ち法令行われず、肱肱正しからざれば則ち奸邪興起す。趙奢は之を平原に行い、范雎は之を穰侯に行う、二國治まりて兩家全し。故に君過ちて臣正し、上非にして下譏る、大臣正しければ、縣令何か有らん。諸を己に反さずして非を人に行うは、執政の大失なり。夫れ屈原の淵に沈むは、子椒の譖に遭えばなり、管子の其の道を行うを得たるは、鮑叔の力なり。今鮑叔の力を睹ずして、汨羅の禍を見る、壽を以て終わらんと欲すと雖も、其れ能く得んや。

現代語訳

文学が言った。「この二人は純白の心を抱き、忠実で正しい道を行い、自分をまっすぐにして上に仕え、力を尽くして公に殉じた。法を守り道理を通し、横暴な相手を避けず、親しい者に媚びず、妻子を養う暮らしを重んじず、私財を顧みなかった。それでも結局は妬む者を免れず、多くの曲がった連中に排除された。だから思いもよらぬ刑に巻き込まれ、功を遂げられなかった。そもそも王族が正されなければ法令は行われず、上腕にあたる重臣が正されなければ悪事が起こる。趙奢はそれを平原君に対して行い、范雎はそれを穰侯に対して行った。二つの国は治まり、両家も無事だった。だから君主が過てば臣が正し、上が非を犯せば下が咎める。大臣が正されていれば、県令にどんな問題があろうか。自分に立ち返らずに人に非を負わせるのは、執政の大きな過失である。屈原が淵に沈んだのは、子椒の讒言に遭ったからだ。管仲が自分の道を行えたのは、鮑叔の力による。いま鮑叔のような力は見当たらず、汨羅の禍ばかりが見える。天寿を全うしたいと願っても、できるだろうか」

解説

順序の議論です。県令が横暴な相手とぶつかって潰れたのは、その上にいる大臣や王族が正されていないからだ、と。趙奢と范雎は、上位の権力者に対して法を通した。上が正されていれば、下の役人が体を張る必要はない、と。そして管仲には鮑叔がいたが、屈原にはいなかった、と続ける。正しいことをする人が生き延びられるかどうかは、後ろ盾があるかどうかで決まる。組織で正論を言う人が孤立するとき、問われているのは本人ではありません。

この章句が説くこと

公族正しからざれば則ち法令行われず諸を己に反さずして非を人に行う鮑叔の力を睹ずして汨羅の禍を見る順序責任後ろ盾

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