塩鉄論 / 相刺篇
文學曰:「扁鵲不能治不受針藥之疾、賢聖不能正不食諫諍之君。故桀有關龍逄而夏亡、紂有三仁而商滅、故不患無由余、子臧之論、患無穆、威之聽耳。是以孔子東西無所遇、屈原放逐於楚國也。故曰:『直道而事人、焉往而不三黜?枉道而事人、何必去父母之邦。』此所以言而不見從、行而不得合者也。」
新字:文学曰:「扁鵲不能治不受針薬之疾、賢聖不能正不食諫諍之君。故桀有関竜逄而夏亡、紂有三仁而商滅、故不患無由余、子臧之論、患無穆、威之聴耳。是以孔子東西無所遇、屈原放逐於楚国也。故曰:『直道而事人、焉往而不三黜?枉道而事人、何必去父母之邦。』此所以言而不見従、行而不得合者也。」
書き下し
文學曰く、扁鵲も針藥を受けざるの疾を治す能わず、賢聖も諫諍を食らわざるの君を正す能わず。故に桀に關龍逄有りて夏亡び、紂に三仁有りて商滅ぶ、故に由余・子臧の論無きを患えず、穆・威の聽無きを患うるのみ。是を以て孔子は東西遇う所無く、屈原は楚國に放逐せらるるなり。故に曰く、『直道にして人に事えば、焉くに往くとして三たび黜けられざらん、道を枉げて人に事えば、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん』と。此れ言いて從わるるを見ず、行いて合うを得ざる所以なり。
現代語訳
文学が言った。「扁鵲でも、鍼と薬を受けつけない病は治せない。賢者や聖人でも、諫言を受け入れない君主を正すことはできない。だから桀には関竜逄がいたのに夏は滅び、紂には三人の仁者がいたのに殷は滅んだ。だから由余や子臧のような議論がないことを憂えるのではない。憂えるのは、穆公や威王のような聴く耳がないことだけだ。だから孔子は東へ西へ回っても迎えられず、屈原は楚の国から追放された。だからこう言うのだ、道をまっすぐにして人に仕えれば、どこへ行っても三度は退けられるだろう。道を枉げて人に仕えるのなら、どうして生まれ故郷を離れる必要があろうか、と。これが、言っても従われず、行っても合わない理由である」
解説
この章句が説くこと
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