塩鉄論 / 國疾篇
文學曰:「國有賢士而不用、非士之過、有國者之恥。孔子大聖也、諸侯莫能用、當小位於魯、三月、不令而行、不禁而止、沛若時雨之灌萬物、莫不興起也。況乎位天下之本朝、而施聖主之德音教澤乎?今公卿處尊位、執天下之要、十有餘年、功德不施於天下、而勤勞於百姓、百姓貧陋困窮、而私家累萬金。此君子所恥、而伐檀所刺也。昔者、商鞅相秦、後禮讓、先貪鄙、尚首功、務進取、無德厚於民、而嚴刑罰於國、俗日壞而民滋怨、故惠王烹菹其身、以謝天下。當此之時、亦不能論事矣。今執政患儒貧賤而多言、儒亦憂執事富貴而多患也。」大夫視文學、悒悒而不言也。
新字:文学曰:「国有賢士而不用、非士之過、有国者之恥。孔子大聖也、諸侯莫能用、当小位於魯、三月、不令而行、不禁而止、沛若時雨之灌万物、莫不興起也。況乎位天下之本朝、而施聖主之徳音教沢乎?今公卿処尊位、執天下之要、十有余年、功徳不施於天下、而勤労於百姓、百姓貧陋困窮、而私家累万金。此君子所恥、而伐檀所刺也。昔者、商鞅相秦、後礼譲、先貪鄙、尚首功、務進取、無徳厚於民、而厳刑罰於国、俗日壊而民滋怨、故恵王烹菹其身、以謝天下。当此之時、亦不能論事矣。今執政患儒貧賤而多言、儒亦憂執事富貴而多患也。」大夫視文学、悒悒而不言也。
書き下し
文學曰く、國に賢士有りて用いざるは、士の過ちに非ず、國を有つ者の恥なり。孔子は大聖なり、諸侯能く用うる莫し、魯に小位に當たること三月、令せずして行われ、禁ぜずして止む、沛として時雨の萬物を灌ぐが若し、興起せざる莫きなり。況んや天下の本朝に位して、聖主の德音教澤を施すをや。今公卿は尊位に處り、天下の要を執ること十有餘年、功德天下に施されずして、百姓に勤勞す、百姓は貧陋困窮して、私家は萬金を累ぬ。此れ君子の恥ずる所にして、伐檀の刺る所なり。昔者、商鞅秦に相たり、禮讓を後にし、貪鄙を先にし、首功を尚び、進取を務む、民に德厚無くして、國に刑罰を嚴にす、俗日に壞れて民ますます怨む、故に惠王其の身を烹菹して、以て天下に謝す。此の時に當たりて、亦た事を論ずる能わざるなり。今執政は儒の貧賤にして多言なるを患う、儒も亦た執事の富貴にして多患なるを憂うるなり。/大夫、文學を視て、悒悒として言わざるなり。
現代語訳
文学が言った。「国に賢士がいながら用いないのは、士の過ちではない。国を保つ者の恥である。孔子は大聖であったが、諸侯の誰も用いることができなかった。魯で小さな地位に就いていたのは三か月だが、命じなくても行われ、禁じなくても止み、盛んな時雨が万物を潤すように、奮い立たないものはなかった。まして天下の本朝に位を占め、聖なる主君の徳の言葉と教化の恵みを施すならなおさらである。いま公卿は高い位にあり、天下の要を握って十余年になる。功徳は天下に施されず、民を働かせるばかりだ。民は貧しく行き詰まっているのに、私家には万金が積み上がっている。これは君子の恥じるところであり、『詩経』伐檀の篇が刺しているところである。昔、商鞅が秦の宰相となったとき、礼と譲り合いを後回しにし、貪欲を先にし、敵の首を取る功を尊び、攻め取ることに努めた。民に厚い徳を及ぼさず、国には刑罰を厳しくした。風俗は日ごとに壊れ、民の怨みは増した。だから恵王は彼の身を刻んで、天下に詫びたのである。その時になっては、もう事を論じることもできない。いま執政は、儒者が貧しく口数が多いことを憂えている。儒者もまた、担当の方々が富み栄えて心配事が多いことを憂えているのだ」。大夫は文学を見て、ふさぎ込んで何も言わなかった。
解説
この章句が説くこと
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