塩鉄論 / 禁耕篇
文學曰:「民人藏於家、諸侯藏於國、天子藏於海內。故民人以垣墻為藏閉、天子以四海為匣匱。天子適諸侯、升自阼階、諸侯納管鍵、執策而聽命、示莫為主也。是以王者不畜聚、下藏於民、遠浮利、務民之義、義禮立、則民化上。若是、雖湯、武生存於世、無所容其慮。工商之事、歐冶之任、何奸之能成?三桓專魯、六卿分晉、不以鹽鐵。故權利深者、不在山海、在朝廷、一家害百家、在蕭墻、而不在朐邴也。」
新字:文学曰:「民人蔵於家、諸侯蔵於国、天子蔵於海内。故民人以垣墻為蔵閉、天子以四海為匣匱。天子適諸侯、升自阼階、諸侯納管鍵、執策而聴命、示莫為主也。是以王者不畜聚、下蔵於民、遠浮利、務民之義、義礼立、則民化上。若是、雖湯、武生存於世、無所容其慮。工商之事、欧冶之任、何奸之能成?三桓専魯、六卿分晋、不以塩鉄。故権利深者、不在山海、在朝廷、一家害百家、在蕭墻、而不在朐邴也。」
書き下し
文學曰く、民人は家に藏し、諸侯は國に藏し、天子は海內に藏す。故に民人は垣墻を以て藏閉と為し、天子は四海を以て匣匱と為す。天子諸侯に適けば、阼階より升り、諸侯は管鍵を納れ、策を執りて命を聽く、主為る莫きを示すなり。是を以て王者は畜聚せず、下は民に藏し、浮利を遠ざけ、民の義を務む。義禮立てば、則ち民は上に化す。是くの若くんば、湯・武世に生存すと雖も、其の慮を容るる所無し。工商の事、歐冶の任、何の奸か能く成さん。三桓の魯を專らにし、六卿の晉を分かつは、鹽鐵を以てせず。故に權利の深き者は、山海に在らず、朝廷に在り、一家百家を害するは、蕭墻に在りて、朐・邴に在らざるなり。
現代語訳
文学が言った。「民は家に蔵い、諸侯は国に蔵い、天子は天下じゅうに蔵う。だから民は垣根や塀を蔵とし、天子は四海を箱とする。天子が諸侯のもとを訪れれば主人の側の階段から昇り、諸侯は鍵を差し出し、書き付けを手に命を聴く。自分が主ではないことを示すためだ。だから王者は自分のもとに溜め込まず、下は民のもとに蔵われる。浮ついた利を遠ざけ、民にとっての義に努める。義と礼が立てば、民は上に感化される。こうであれば、湯王や武王のような者が世に生きていたとしても、謀を差し挟む余地がない。工商の仕事や欧冶のような鋳造の腕に、どんな悪事ができようか。三桓が魯を私し、六卿が晋を分割したのは、塩や鉄によってではない。だから深刻な利権は山や海にあるのではなく、朝廷にある。一家が百家を害するのは屋敷の内の垣根のうちであって、朐や邴のような商人にあるのではない」
解説
この章句が説くこと
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