塩鉄論 / 殊路篇
大夫曰:「至美素璞、物莫能飾也。至賢保真、偽文莫能增也。故金玉不琢、美珠不畫。今仲由、冉求無檀柘之材、隋、和之璞、而強文之、譬若雕朽木而礪鈆刀、飾嫫母畫土人也。被以五色、斐然成章、及遭行潦流波、則沮矣。夫重懷古道、枕籍詩、書、危不能安、亂不能治、郵裏逐雞、雞亦無黨也?」
新字:大夫曰:「至美素璞、物莫能飾也。至賢保真、偽文莫能增也。故金玉不琢、美珠不画。今仲由、冉求無檀柘之材、隋、和之璞、而強文之、譬若雕朽木而礪鈆刀、飾嫫母画土人也。被以五色、斐然成章、及遭行潦流波、則沮矣。夫重懐古道、枕籍詩、書、危不能安、乱不能治、郵裏逐雞、雞亦無党也?」
書き下し
大夫曰く、至美の素璞は、物能く飾る莫きなり。至賢は真を保つ、偽文能く增す莫きなり。故に金玉は琢たず、美珠は畫かず。今仲由・冉求は檀柘の材、隋・和の璞無くして、強いて之を文る、譬えば朽木を雕りて鈆刀を礪ぎ、嫫母を飾り土人を畫くが若し。被るに五色を以てし、斐然として章を成すも、行潦流波に遭うに及べば、則ち沮む。夫れ重ねて古道を懷き、詩・書を枕籍するも、危うきを安んずる能わず、亂れたるを治むる能わず、郵里に雞を逐うも、雞も亦た黨無きか。
現代語訳
大夫が言った。「この上なく美しい素の原石は、何かで飾る必要がない。この上ない賢者は真をそのまま保つので、飾った文章で足せるものはない。だから金や玉は彫らず、美しい真珠には絵を描かない。いま子路や冉求は、檀や柘のような良材でも、隋侯の珠や和氏の璧のような原石でもないのに、無理に飾り立てた。たとえば朽ちた木に彫刻し、鉛の刀を研ぐようなもの、醜女を飾り土人形に彩色するようなものだ。五色をまとわせ、模様は見事に整っても、雨水の流れに遭えば崩れてしまう。そもそも古の道を重ねて胸に抱き、『詩』『書』を枕にして眠っても、危ういものを安んじられず、乱れたものを治められない。宿場町で鶏を追いかけても、鶏には仲間もないというのか」
解説
教育の限界を突いた段です。素質のない者にいくら飾りを重ねても、水に遭えば流れ落ちる、と。「朽木を雕る」は『論語』で孔子が宰予に言った言葉で、それをそのまま孔門に返しています。素質か教育か、という古い問いですが、ここで大夫が言っているのは、危機のときに効くかどうかで測れ、ということです。平時の見栄えではなく、雨水が来たときに残るかどうか。基準としては厳しく、そして妥当でもあります。
この章句が説くこと
朽木を雕りて鈆刀を礪ぐ至賢は真を保つ偽文能く增す莫し危うきを安んずる能わず乱れたるを治むる能わず素質教育実効
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