塩鉄論 / 憂邊篇
大夫曰:「吾聞為人臣者盡忠以順職、為人子者致孝以承業。君有非、則臣覆蓋之。父有非、則子匿逃之。故君薨、臣不變君之政、父沒、則子不改父之道也。春秋譏毀泉臺、為其隳先祖之所為、而揚君父之惡也。今鹽、鐵、均輸、所從來久矣、而欲罷之、得無害先帝之功、而妨聖主之德乎?有司倚於忠孝之路、是道殊而不同於文學之謀也。」
新字:大夫曰:「吾聞為人臣者尽忠以順職、為人子者致孝以承業。君有非、則臣覆蓋之。父有非、則子匿逃之。故君薨、臣不変君之政、父没、則子不改父之道也。春秋譏毀泉台、為其隳先祖之所為、而揚君父之悪也。今塩、鉄、均輸、所従来久矣、而欲罷之、得無害先帝之功、而妨聖主之徳乎?有司倚於忠孝之路、是道殊而不同於文学之謀也。」
書き下し
大夫曰く、吾聞く、人の臣為る者は忠を盡くして以て職に順い、人の子為る者は孝を致して以て業を承く、と。君に非有れば、則ち臣之を覆蓋す。父に非有れば、則ち子之を匿逃す。故に君薨ずれば、臣は君の政を變ぜず、父沒すれば、則ち子は父の道を改めざるなり。春秋は泉臺を毀つを譏る、其の先祖の為す所を隳ちて、君父の惡を揚ぐるが為なり。今鹽・鐵・均輸は、從りて來たる所久し、而るに之を罷めんと欲す、先帝の功を害し、而して聖主の德を妨ぐる無きを得んや。有司は忠孝の路に倚る、是れ道殊にして文學の謀に同じからざるなり。
現代語訳
大夫が言った。「私はこう聞いている。臣下たる者は忠を尽くして職務に従い、子たる者は孝を尽くして家業を継ぐ、と。君主に過ちがあれば臣はそれを覆い隠し、父に過ちがあれば子はそれを人目から隠す。だから君主が亡くなれば臣はその政策を変えず、父が亡くなれば子はその道を改めない。『春秋』は泉台を取り壊したことを咎めている。先祖の作ったものを壊し、君父の悪をさらけ出すことになるからだ。いま塩・鉄・均輸は、始まってから長い年月が経っている。それをやめようという。先帝の功績を損ない、聖なる主君の徳を妨げることにならずに済むだろうか。担当官は忠孝の道に拠っている。これは立つ道が違うので、文学の考えとは同じにならないのだ」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 殷本紀中宗崩じ、子帝中丁立つ。帝中丁隞に遷り、河亶甲相に居り、祖乙邢に遷る。帝中丁崩じ、弟外壬立つ。是を帝外壬と為す。仲丁の書は闕けて具はらず。帝外壬崩じ、弟河亶甲立つ。是を帝河亶甲と為す。河亶甲の時、殷復た衰ふ。河亶甲崩じ、子帝祖乙立つ。帝祖乙立ちて、殷復た興る。巫賢職に任ず。祖乙崩じ、子帝祖辛立つ。帝祖辛崩じ、弟沃甲立つ。是を帝沃甲と為す。帝沃甲崩じ、沃甲の兄祖辛の子祖丁を立つ。是を帝祖丁と為す。帝祖丁崩じ、弟沃甲の子南庚を立つ。是を帝南庚と為す。帝南庚崩じ、帝祖丁の子陽甲を立つ。是を帝陽甲と為す。帝陽甲の時、殷衰ふ。中丁より以来、適を廃して更に諸弟の子を立て、弟の子或いは争ひて相代はりて立ち、比九世乱る。是に於て諸侯朝する莫し。帝陽甲崩じ、弟盤庚立つ。是を帝盤庚と為す。帝盤庚の時、殷已に河北に都す。盤庚河を渡りて南し、復た成湯の故居に居る。迺ち五たび遷りて、定処無し。殷の民咨胥皆怨み、徙るを欲せず。盤庚乃ち諸侯大臣に告諭して曰く、「昔高后成湯爾の先祖と倶に天下を定む。法則修む可し。舍てて勉めずんば、何を以て徳を成さん」と。乃ち遂に河を渉りて南し、亳を治め、湯の政を行ふ。然る後に百姓由りて寧く、殷の道復た興る。諸侯来朝す、其の成湯の徳に遵ふを以てなり。帝盤庚崩じ、弟小辛立つ。是を帝小辛と為す。帝小辛立ちて、殷復た衰ふ。百姓盤庚を思ひ、迺ち盤庚三篇を作る。帝小辛崩じ、弟小乙立つ。是を帝小乙と為す。帝小乙崩じ、子帝武丁立つ。帝武丁即位し、殷を復興せんことを思ふも、未だ其の佐を得ず。三年言はず、政事は冢宰に決定し、以て国風を観る。
-
『塩鉄論』憂邊篇文學曰く、明者は時に因りて變じ、知者は世に隨いて制す。孔子曰く、『麻冕は禮なり、今や純なるは儉なり、吾は眾に從わん』と。故に聖人は賢を上びて古を離れず、俗に順いて宜を偏らず。魯の定公は昭穆を序し、祖禰に順う、昭公は卿士を廢し、以て事を省き用を節す、祖の為す所を變じて、父の道を改むと謂うべからざるか。二世は大いに阿房を充たして以て緒を崇くし、趙高は秦法を增累して以て威を廣む、而も未だ忠臣孝子と謂うべからざるなり。
-
説苑・修文春秋に曰く、「壬申、公高寢に薨ず。」傳に曰く、「高寢とは何ぞ?正寢なり。曷為れぞ或いは高寢と言い、或いは路寢と言うか?曰く、諸侯の正寢三つ、一に曰く高寢、二に曰く左路寢、三に曰く右路寢。高寢とは、始めて封ぜられし君の寢なり。二つの路寢とは、體を繼ぐ君の寢なり。其の二つなるは何ぞ?曰く、子父の寢に居らず、故に二寢あり。體を繼ぐ君は世世高祖の寢に居るべからず、故に高寢有り、名づけて高と曰う。路寢其の立つこと奈何?高寢中に立ち、路寢左右す。」と。春秋に曰く、「天王成周に入る。」傳に曰く、「成周とは何ぞ?東周なり。然らば則ち天子の寢奈何?曰く、亦二つの承明あり、體を繼ぎ文を守る君の寢、左右の路寢と曰う。之を承明と謂うは何ぞ?曰く、明堂の後に承くる者なり。故に天子諸侯三寢立ちて名實正しく、父子の義章らかに、尊卑の事別れ、大小の德異なるなり。」
-
『墨子』耕柱公孟子曰く、「君子は作らず、術ぶるのみ」と。子墨子曰く、「然らず。人の其れ君子ならざる者は、古の善き者は誅がず、今や善き者は作らず。其の次に君子ならざる者は、古の善き者は遂げず、已に善有れば則ち之を作り、善の己より出でんことを欲す。今、誅ぎて作らざるは、是れ遂ぐるを好まずして作る者に異なる所無きなり。吾れ以為えらく、古の善き者は則ち之を誅ぎ、今の善き者は則ち之を作り、善の益ます多からんことを欲すと」と。
-
説苑・建本晋の襄公薨じ、嗣君少く、趙宣子相たり。大夫に謂いて曰わく、「少君を立つれば、多難ならんことを懼る。請う雍を立てん。雍長じ、出でて秦に在り、秦大にして、以て援と為すに足る」と。賈季曰わく、「公子楽に若かず。楽国に寵有り、先君愛して之を翟に仕えしむ、翟是を以て援と為す」と。穆嬴太子を抱きて庭に呼びて曰わく、「先君奚の罪ありや、其の嗣も亦奚の罪ありや。嫡嗣を捨てて立てずして外に君子を求む」と。朝を出でて抱きて宣子に見えて曰わく、「難きを悪みて、故に長君を立てんと欲するも、長君立ちて少君壮なれば、難乃ち至らん」と。宣子之を患い、遂に太子を立つ。
-
尚書・伊訓惟れ元祀(げんし)十有二月乙丑、伊尹先王に祠(まつ)り、嗣王を奉じて祗(つつし)みて厥(そ)の祖に見(まみ)えしむ。侯甸(こうでん)の群后咸(みな)在り、百官己を総べて以て冢宰(ちようさい)に聴く。伊尹乃ち明らかに烈祖の成徳を言ひ、以て王を訓(をし)へて曰く、「嗚呼(ああ)、古(いにしへ)の有夏の先后、方(まさ)に厥の徳を懋(つと)め、天災有る罔(な)し。山川鬼神も亦寧(やす)からざる莫(な)く、鳥獣魚鼈(ぎよべつ)に暨(およ)ぶまで咸若(したが)ふ。其の子孫に于(お)いて率(したが)はず、皇天災を降し、手を我が命有るものに仮る。攻を造(はじ)むるは鳴条よりし、朕が哉(はじ)めは亳よりす。惟れ我が商王、聖武を布昭し、虐に代ふるに寛を以てし、兆民允(まこと)に懐く。今王厥の徳を嗣ぐは、初めに在らざる罔し。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る