塩鉄論 / 毀學篇
大夫曰:「學者所防固辭、禮者所以文鄙行也。故學以輔德、禮以文質。言思可道、行思可樂。惡言不出於口、邪行不及於己。動作應禮、從容中道。故禮以行之、孫以出之。是以終日言、無口過、終身行、無冤尤。今人主張官立朝以治民、疏爵分祿以褒賢、而曰『懸門腐鼠』、何辭之鄙背而悖於所聞也?」
新字:大夫曰:「学者所防固辞、礼者所以文鄙行也。故学以輔徳、礼以文質。言思可道、行思可楽。悪言不出於口、邪行不及於己。動作応礼、従容中道。故礼以行之、孫以出之。是以終日言、無口過、終身行、無冤尤。今人主張官立朝以治民、疏爵分禄以褒賢、而曰『懸門腐鼠』、何辞之鄙背而悖於所聞也?」
書き下し
大夫曰く、學ぶは固辭を防ぐ所なり、禮は鄙行を文る所以なり。故に學は以て德を輔け、禮は以て質を文る。言は道うべきを思い、行いは樂しむべきを思う。惡言は口より出でず、邪行は己に及ばず。動作は禮に應じ、從容として道に中る。故に禮以て之を行い、孫以て之を出だす。是を以て終日言いて、口過無く、終身行いて、冤尤無し。今人主は官を張り朝を立てて以て民を治め、爵を疏き祿を分かちて以て賢を褒む、而るに『懸門腐鼠』と曰う、何ぞ辭の鄙背にして聞く所に悖るや。
現代語訳
大夫が言った。「学問は言葉の頑なさを防ぐためのものであり、礼は粗野な振る舞いを整えるためのものだ。だから学は徳を助け、礼は素地を整える。言葉は口にしてよいかを考え、行いは人が喜ぶかを考える。悪い言葉は口から出さず、邪な行いは自分に及ばせない。動作は礼にかない、ゆったりとして道にかなう。だから礼をもって行い、へりくだって口に出す。そうすれば一日じゅう話しても言葉の過ちはなく、生涯行動しても恨みを買うことがない。いま君主は官職を設け朝廷を立てて民を治め、爵位を配り俸禄を分けて賢者を讃えている。それなのに落とし戸だの腐った鼠だのと言う。なんと言葉が卑しく、学んできたことに背いているではないか」
解説
議論の中身ではなく、言い方を咎めました。学問と礼は言葉と振る舞いを整えるためのものではないか、と。その理屈自体は正しく、しかも相手の掲げる規範から出ています。ただし、これも中身への応答ではありません。言われた比喩がきつかったから、比喩の品位を問題にした。議論が行き詰まると、論点は中身から態度へ移り、最後は資格へ移る。この篇はその推移が最もよく見える箇所です。
この章句が説くこと
学は以て徳を輔け礼は以て質を文る悪言は口より出でず辞の鄙背にして聞く所に悖る言葉礼態度
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