師導古典を学びたいすべての人に

塩鉄論 / 貧富篇

文學曰:「孔子云:『富而可求、雖執鞭之事、吾亦為之、如不可求、從吾所好。』君子求義、非茍富也。故刺子貢不受命而貨殖焉。君子遭時則富且貴、不遇、退而樂道。不以利累己、故不違義而妄取。隱居修節、不欲妨行、故不毀名而趨勢。雖付之以韓、魏之家、非其志、則不居也。富貴不能榮、謗毀不能傷也。故原憲之缊袍、賢於季孫之狐貉、趙宣孟之魚飧、甘於智伯之芻豢、子思之銀佩、美於虞公之垂棘。魏文侯軾段幹木之閭、非以其有勢也、晉文公見韓慶、下車而趨、非以其多財、以其富於仁、充於德也。故貴何必財、亦仁義而已矣!」

新字:文学曰:「孔子云:『富而可求、雖執鞭之事、吾亦為之、如不可求、従吾所好。』君子求義、非茍富也。故刺子貢不受命而貨殖焉。君子遭時則富且貴、不遇、退而楽道。不以利累己、故不違義而妄取。隠居修節、不欲妨行、故不毀名而趨勢。雖付之以韓、魏之家、非其志、則不居也。富貴不能栄、謗毀不能傷也。故原憲之缊袍、賢於季孫之狐貉、趙宣孟之魚飧、甘於智伯之芻豢、子思之銀佩、美於虞公之垂棘。魏文侯軾段幹木之閭、非以其有勢也、晉文公見韓慶、下車而趨、非以其多財、以其富於仁、充於徳也。故貴何必財、亦仁義而已矣!」

書き下し

文學曰く、孔子云う、『富にして求むべくんば、執鞭の事と雖も、吾も亦た之を為さん、如し求むべからずんば、吾が好む所に從わん』と。君子は義を求む、茍くも富まんとするに非ざるなり。故に子貢の命を受けずして貨殖するを刺る。君子は時に遭えば則ち富み且つ貴し、遇わざれば、退きて道を樂しむ。利を以て己を累わさず、故に義に違いて妄りに取らず。隱居して節を修め、行いを妨げんと欲せず、故に名を毀ちて勢に趨らず。之に付するに韓・魏の家を以てすと雖も、其の志に非ざれば、則ち居らざるなり。富貴も榮とする能わず、謗毀も傷つくる能わざるなり。故に原憲の缊袍は、季孫の狐貉より賢れり、趙宣孟の魚飧は、智伯の芻豢より甘し、子思の銀佩は、虞公の垂棘より美なり。魏の文侯は段幹木の閭に軾す、其の勢有るを以てするに非ざるなり、晉の文公は韓慶を見て、車を下りて趨る、其の財多きを以てするに非ず、其の仁に富み、德に充つるを以てなり。故に貴きは何ぞ必ずしも財ならん、亦た仁義のみ。

現代語訳

文学が言った。「孔子は言った、富が求めて得られるものなら、鞭を執る御者の仕事でも私はやろう。もし求めて得られないものなら、自分の好むところに従おう、と。君子は義を求めるのであって、ただ富もうとするのではない。だから孔子は、子貢が天命に安んじず蓄財に走ったことを咎めた。君子は時に恵まれれば富み貴くなるが、恵まれなければ退いて道を楽しむ。利で自分を煩わせないから、義に背いてむやみに取らない。隠れ住んで節を修め、行いを妨げたくないから、名を汚してまで権勢に走らない。韓氏や魏氏ほどの財産を渡されても、自分の志と違えばそこに留まらない。富貴によって誇らず、そしりによって傷つかない。だから原憲のぼろの綿入れは季孫の狐の毛皮より優り、趙宣孟の粗末な魚の飯は智伯のご馳走より旨く、子思の銀の飾りは虞公の名玉より美しい。魏の文侯が段干木の住む里で車の前板に手をついて礼をしたのは、彼に権勢があったからではない。晋の文公が韓慶を見て車を降りて小走りに寄ったのは、彼に財が多かったからではない。仁に富み、徳に満ちていたからだ。だから貴いのに財である必要がどこにあろう。ただ仁義だけである」

解説

富の効用に、敬意の理由で答えました。魏の文侯も晋の文公も、相手に権勢や財があったから礼を尽くしたのではない、と。実際に頭を下げさせたものは何だったか、という問いの立て方です。冒頭の孔子の言葉が効いています。求めて得られるものなら御者でもやる——富そのものを否定していない。得られるかどうかにかかわらず何を選ぶか、という話に移している。ここは、財の議論を価値の議論へ引き上げた一段です。

この章句が説くこと

富にして求むべくんば執鞭の事と雖も貴きは何ぞ必ずしも財ならん利を以て己を累わさず価値観敬意蓄財

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる