塩鉄論 / 散不足篇
「古者、明器有形無實、示民不可用也。及其後、則有醯醢之藏、桐馬偶人彌祭、其物不備。今厚資多藏、器用如生人。郡國繇吏、素桑楺偶車櫓輪、匹夫無貌領、桐人衣紈綈。
新字:「古者、明器有形無実、示民不可用也。及其後、則有醯醢之蔵、桐馬偶人弥祭、其物不備。今厚資多蔵、器用如生人。郡国繇吏、素桑楺偶車櫓輪、匹夫無貌領、桐人衣紈綈。
書き下し
古者、明器は形有りて實無し、民に用うべからざるを示すなり。其の後に及び、則ち醯醢の藏有り、桐馬偶人もて祭を彌す、其の物備わらず。今厚く資し多く藏し、器用は生人の如し。郡國の繇吏、素桑楺の偶車櫓輪あり、匹夫すら貌領無きこと無く、桐人は紈綈を衣る。
現代語訳
昔は、副葬の器は形はあっても中身がなかった。それは、これは使うためのものではないと民に示すためである。後の世になると、酢や塩辛を納めるようになり、桐の馬や人形を供えて祭りを補ったが、それでも品はそろっていなかった。いまは手厚く費やして多くを納め、器や道具は生きている人が使うものと変わらない。郡や国から出た労役の吏は、白木の桑をたわめた作り物の車や櫓や車輪を作り、庶民ですら立派な襟飾りを欠かさず、桐の人形にまで薄絹や上等の絹を着せている。
解説
明器は形有りて実無し、民に用うべからざるを示すなり——副葬品にわざと中身を入れなかったのは、これは実用ではないと示すためだった。この一句は美しい。形式には形式であることの表示が組み込まれていた、ということです。それがいまは、生きている人が使うものと変わらなくなった。表示が消えると、形式と実質の区別がつかなくなり、費用だけが実質と同じだけかかります。
この章句が説くこと
明器は形有りて実無し民に用うべからざるを示す器用は生人の如し桐人は紈綈を衣る形式無駄葬礼
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