塩鉄論 / 利議篇
文學曰:「諸生對冊、殊路同歸、指在崇禮義、退財利、復往古之道、匡當世之失、莫不云太平、雖未盡可亶用、宜若有可行者焉。執事闇於明禮、而喻於利末、沮事隋議、計慮籌策、以故至今未決。非儒無成事、公卿欲成利也。」
新字:文学曰:「諸生対冊、殊路同帰、指在崇礼義、退財利、復往古之道、匡当世之失、莫不云太平、雖未尽可亶用、宜若有可行者焉。執事闇於明礼、而喩於利末、沮事隋議、計慮籌策、以故至今未決。非儒無成事、公卿欲成利也。」
書き下し
文學曰く、諸生の對册は、路を殊にして歸を同じくす、指は禮義を崇び、財利を退け、往古の道に復り、當世の失を匡すに在り、太平を云わざる莫し、未だ盡くは亶だ用うべからずと雖も、宜しく行うべき者有るが若し。執事は明禮に闇くして、利末に喩り、事を沮み議を隋つ、計慮籌策、故を以て今に至るまで未だ決せず。儒に成事無きに非ず、公卿の利を成さんと欲すればなり。
現代語訳
文学が言った。「諸君が奉った答申は、道すじは違っても行き着く先は同じである。趣旨は、礼義を尊び、財利を退け、古の道に立ち返り、当世の過ちを正すことにある。太平を語らないものはない。すべてがそのまま用いられるわけではないにせよ、行うべきものはあるはずだ。ところが担当の方々は、明らかな礼には暗く、末端の利には通じていて、事を妨げ議論を打ち捨てる。計画も方策も、そのために今日まで決まらないままである。儒者に事を成す力がないのではない。公卿が利を成そうとしているからだ」
解説
「案がない」への答えです。案は出ている、道すじは違っても向かう先は同じだ、と。決まらないのは案の不在ではなく、決めたくない側がいるからだ、と言い切りました。組織で議論が延々と続くとき、たいてい情報や案は足りています。足りていないのは決める意志で、そこには利害がある。この指摘の当否はさておき、議論の停滞を「案が悪い」で説明し続けるのは危ういという点は、いまも変わりません。
この章句が説くこと
路を殊にして帰を同じくす事を沮み議を隋つ儒に成事無きに非ず公卿の利を成さんと欲す意思決定停滞利害
関連する章句
-
史記 秦本紀繆公の子四十人、其の太子嵤代はりて立つ。是を康公と為す。康公の元年。往歳繆公の卒せしとき、晋の襄公も亦卒す。襄公の弟名は雍、秦の出なり、秦に在り。晋の趙盾之を立てんと欲し、随会をして来たりて雍を迎へしむ。秦兵を以て送りて令狐に至る。晋襄公の子を立てて反りて秦の師を撃つ。秦の師敗れ、随会来奔す。二年、秦晋を伐ち、武城を取り、令狐の役に報ゆ。四年、晋秦を伐ち、少梁を取る。六年、秦晋を伐ち、羈馬を取る。河曲に戦ひ、大いに晋の軍を敗る。晋人随会の秦に在りて乱を為すを患ひ、乃ち魏讎余をして詳りて反かしめ、会と合謀し、詐りて会を得たり。会遂に晋に帰る。康公立つこと十二年にして卒し、子共公立つ。共公の二年、晋の趙穿其の君霊公を弒す。三年、楚の荘王彊く、北のかた兵雒に至り、周の鼎を問ふ。共公立つこと五年にして卒し、子桓公立つ。桓公の三年、晋我が一将を敗る。十年、楚の荘王鄭を服し、北のかた晋の兵を河上に敗る。是の時に当たり、楚霸たり、会盟を為して諸侯を合す。二十四年、晋の厲公初めて立ち、秦の桓公と河を夾みて盟ふ。帰りて秦盟に倍き、翟と合謀して晋を撃つ。二十六年、晋諸侯を率ゐて秦を伐つ。秦の軍敗走し、追ひて涇に至りて還る。桓公立つこと二十七年にして卒し、子景公立つ。景公の四年、晋の欒書其の君厲公を弒す。十五年、鄭を救ひ、晋の兵を櫟に敗る。是の時晋の悼公盟主為り。十八年、晋の悼公彊く、数諸侯を会し、率ゐて以て秦を伐ち、秦の軍を敗る。秦の軍走り、晋の兵之を追ひ、遂に涇を渡り、棫林に至りて還る。二十七年、景公晋に如き、平公と盟ひ、已にして之に背く。三十六年、楚の公子囲其の君を弒して自立す。是を霊王と為す。
-
孫子・行軍篇杖つきて立つ者は、饑うるなり。汲みて先ず飲む者は、渇するなり。利を見て進まざる者は、労るるなり。鳥集まる者は、虚しきなり。夜呼ぶ者は、恐るるなり。軍擾るる者は、将重からざるなり。旌旗動く者は、乱るるなり。吏怒る者は、倦みたるなり。馬に粟して肉食し、軍に懸缻無く、其の舎に返らざる者は、窮寇なり。諄諄翕翕として、徐ろに人と言う者は、衆を失うなり。
-
『韓非子』和氏第十三此れ世の亂れて霸王の無き所以なり。
-
『夜船閑話』本文山野初め参学の日、誓つて勇猛の信心を憤発し不退の道情を激起し、精錬刻苦する者既に両三霜、乍ち一夜忽然として落節す。従前多少の疑惑根に和して氷融し、曠劫生死の業根底に徹して漚滅す。自ら謂らく、道人を去ること寔に遠からず。古人二三十年是何の捏怪ぞと、怡悅踏舞を忘るゝ者数月、向後日用を廻顧するに、動静の二境全く調和せず。去就の両辺総に脫洒ならず。
-
『潜夫論』述赦昔大司馬呉漢老い病みて将に卒せんとするに、世祖遺戒を問う。対えて曰く、「臣は愚にして智ならず、以て治を知るに足らず、慎みて赦す無きのみ」と。夫れ方は類を以て聚まり、物は群を以て分かれ、人の情は皆辞に見わる。故に諸々の赦すべからずと言う者は、身を修め行いを修むるに非ざれば、則ち必ず憂哀謹慎して、奸悪を嫉毒する者なり。諸々の数しばの赦を利とする者は、赦の務めに達せざるに非ざれば、則ち交内に隠憂を懐き、願い為す有る者なり。人君の令を発するや、必ず群臣に咨る。群臣の奸邪なる者は、固より必ず罪に伏し、正直の吏と雖も猶お公過有り。鬻拳、李離に非ざる自りは、孰か肯えて身を刑して以て国を正さん。然れば則ち是れ皆私計に接して以て公政を論ずるなり。瓜を興して裘を議る、時として可なる無し。伝に曰く、「民の幸多きは、国の不幸なり」と。夫れ罪有りて辜を備え、冤結ありて理を信にするは、此れ天の正なり、而して王の法なり。故に曰く、「詭随を縦にする無く、以て無良を謹む」と。若し善人を枉げて以て奸悪に恵まば、此れを怨みを斂めて以て徳と為すと謂う。先帝法を製して、刺刀を論衷するは、何ぞや。其の奸悪の心を懐き、殺害の意有るを以てなり。聖主は子愛の情有り、而して是に殺害の意有り、故に之を誅す、況んや罪を成すをや。
-
『智囊』辯才・富弼契丹、朝廷の西夏の憂い有るに乗じ、使を遣わして関南の地を言わしむ。地は是れ石晋の割く所にして、後に周の世宗の取る所と為る。富弼、使を奉じ、往きて契丹主に見えて曰く、「両朝好みを継ぎて、四十年に垂んとす。一旦、地を割くを求むるは、何ぞや」。契丹主曰く、「南朝約に違い、雁門を塞ぎ、塘水を増し、城隍を治め、民兵を籍す。将に以て何をか為さんとする。群臣、兵を挙げて南せんことを請う。吾は、使を遣わして地を求め、求めて獲ずんば、兵を挙ぐるも未だ晩からずと謂えり」。弼曰く、「北朝は章聖皇帝の大徳を忘れたるか。澶淵の役、苟くも諸将の言に従わば、北兵の脱するを得る者無からん。且つ北朝と中国と好みを通ずれば、則ち人主は其の利を専らにして、臣下は獲る所無し。若し兵を用いば、則ち利は臣下に帰し、人主は其の禍に任ず。故に兵を用いんことを勧むる者は、皆身の為に謀るのみ。今、中国の提封は万里、精兵は百万。北朝、兵を用いんと欲すれば、能く必勝を保つか。就使い幸いに勝つとも、亡う所の士馬は、群臣之に当たるか、抑も人主之に当たるか。若し通好絶えざれば、歳幣は尽く人主に帰す。群臣は何の利あらんや」。契丹主、大いに悟り、首肯すること之を久しくす。弼又曰く、「雁門は、元昊に備うる所以なり。塘水は何承矩に始まり、事は通好の前に在り。城隍は旧を修め、民兵も亦た缺を補う。約に違うに非ざるなり」。契丹主曰く、「然りと雖も、吾が祖宗の故地は、当に還されるべきのみ」。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る