塩鉄論 / 相刺篇
大夫曰:「歌者不期於利聲、而貴在中節、論者不期於麗辭、而務在事實。善聲而不知轉、未可為能歌也、善言而不知變、未可謂能說也。持規而非矩、執準而非繩、通一孔、曉一理、而不知權衡、以所不睹不信人、若蟬之不知雪、堅據古文以應當世、猶辰參之錯、膠柱而調瑟、固而難合矣。孔子所以不用於世、而孟軻見賤於諸侯也。」
新字:大夫曰:「歌者不期於利声、而貴在中節、論者不期於麗辞、而務在事実。善声而不知転、未可為能歌也、善言而不知変、未可謂能説也。持規而非矩、執準而非縄、通一孔、暁一理、而不知権衡、以所不睹不信人、若蟬之不知雪、堅拠古文以応当世、猶辰参之錯、膠柱而調瑟、固而難合矣。孔子所以不用於世、而孟軻見賤於諸侯也。」
書き下し
大夫曰く、歌う者は利聲を期せずして、貴きは節に中るに在り、論ずる者は麗辭を期せずして、務めは事實に在り。善く聲して轉を知らざれば、未だ能く歌うと為すべからず、善く言いて變を知らざれば、未だ能く說くと謂うべからず。規を持して矩を非とし、準を執りて繩を非とし、一孔に通じ、一理を曉りて、權衡を知らず、睹ざる所を以て人を信ぜず、蟬の雪を知らざるが若し、堅く古文に據りて以て當世に應ずるは、猶お辰・參の錯わるがごとく、柱に膠して瑟を調うるがごとし、固にして合い難し。孔子の世に用いられず、孟軻の諸侯に賤しめらるる所以なり。
現代語訳
大夫が言った。「歌う者は美しい声を目指すのではなく、大事なのは節に合っていることだ。論じる者は美しい言葉を目指すのではなく、務めは事実にある。声はよくても転調を知らなければ、歌えるとは言えない。よく話せても変化を知らなければ、説けるとは言えない。コンパスを持って定規を否定し、水準器を握って墨縄を否定し、一つの穴だけに通じ、一つの理屈だけを悟って、はかりの目盛りを知らない。自分が見ていないものを理由に人を信じない。蝉が雪を知らないようなものだ。古い文献にかたく拠って当世に応じるのは、辰星と参星がすれ違うようなもの、琴の柱を膠で固めて調子を合わせようとするようなものだ。頑なで合わせられない。孔子が世に用いられず、孟軻が諸侯に軽んじられたのは、そのためである」
解説
この章句が説くこと
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