塩鉄論 / 憂邊篇
大夫曰:「聖主思中國之未寧、北邊之未安、使故廷尉評等問人間所疾苦。拯恤貧賤、周贍不足。群臣所宣明王之德、安宇內者、未得其紀、故問諸生。諸生議不干天則入淵、乃欲以閭里之治、而況國家之大事、亦不幾矣!發於畎畝、出於窮巷、不知冰水之寒、若醉而新寤、殊不足與言也。」
新字:大夫曰:「聖主思中国之未寧、北辺之未安、使故廷尉評等問人間所疾苦。拯恤貧賤、周贍不足。群臣所宣明王之徳、安宇内者、未得其紀、故問諸生。諸生議不干天則入淵、乃欲以閭里之治、而況国家之大事、亦不幾矣!発於畎畝、出於窮巷、不知冰水之寒、若酔而新寤、殊不足与言也。」
書き下し
大夫曰く、聖主は中國の未だ寧からず、北邊の未だ安からざるを思い、故の廷尉評等をして人間の疾苦する所を問わしむ。貧賤を拯恤し、不足を周贍す。群臣の明王の德を宣べ、宇內を安んずる所以の者、未だ其の紀を得ず、故に諸生に問う。諸生の議は、天を干さざれば則ち淵に入る、乃ち閭里の治を以てせんと欲す、而るを況んや國家の大事をや、亦た幾からずや。畎畝に發し、窮巷に出で、冰水の寒きを知らず、醉いて新たに寤むるが若し、殊に與に言うに足らざるなり。
現代語訳
大夫が言った。「聖なる主君は、国内がまだ安らかでなく、北の辺境がまだ落ち着かないことを思い、前の廷尉であった評らに命じて、民間が苦しんでいることを問わせた。貧しい者を救い、足りない者に行き渡らせた。臣下たちが明君の徳を宣べ、天下を安んじる筋道をまだ得られない。だから諸君に問うたのだ。ところが諸君の議論は、天に突き上げるか淵に沈み込むかで、中ほどがない。せいぜい村里の治め方でやろうというのだ。まして国家の大事となればなおさら、見当違いも甚だしい。田畑から出てきて、路地裏から出てきて、氷や水の冷たさを知らない。酔いから覚めたばかりのようなもので、まるで話し合う相手にならない」
解説
この章句が説くこと
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