塩鉄論 / 本議篇
文學曰:「古者、貴以德而賤用兵。孔子曰:『遠人不服、則修文德以來之。既來之、則安之。』今廢道德而任兵革、興師而伐之、屯戍而備之、暴兵露師、以支久長、轉輸糧食無已、使邊境之士饑寒於外、百姓勞苦於內。立鹽、鐵、始張利官以給之、非長策也。故以罷之為便也。」
新字:文学曰:「古者、貴以徳而賤用兵。孔子曰:『遠人不服、則修文徳以来之。既来之、則安之。』今廃道徳而任兵革、興師而伐之、屯戍而備之、暴兵露師、以支久長、転輸糧食無已、使辺境之士饑寒於外、百姓労苦於内。立塩、鉄、始張利官以給之、非長策也。故以罷之為便也。」
書き下し
文學曰く、古者は德を貴びて兵を用うるを賤しむ。孔子曰く、遠人服せざれば、則ち文德を修めて以て之を來たす。既に之を來たせば、則ち之を安んず、と。今道德を廢して兵革に任じ、師を興して之を伐ち、屯戍して之に備う。兵を暴し師を露し、以て久長を支え、糧食を轉輸して已む無く、邊境の士をして外に饑寒せしめ、百姓をして内に勞苦せしむ。鹽・鐵を立て、始めて利官を張りて以て之に給するは、長策に非ざるなり。故に之を罷むるを以て便と爲すなり、と。
現代語訳
文学は言った。「昔は徳を貴び、兵を用いることを賤しんだ。孔子は言われた。遠方の人が服さなければ、文徳を修めてこれを来たらせる。すでに来たなら、これを安んじる、と。いま道徳を廃して武力に頼り、軍を興して討ち、駐屯して備えている。兵をさらし軍を野に置いて、長い年月を支え、食糧の輸送が終わらず、辺境の兵を外で飢え凍えさせ、民を内で苦労させている。塩と鉄を立て、はじめて利を扱う役所を設けてそれをまかなうのは、長い目で見た策ではない。だから廃止するのが便です」
解説
「非長策也」——長い目で見た策ではない、という一句が要点です。文学の主張は理想論だけではありません。専売という財源が、対外強硬策を維持可能にしてしまい、その結果として戦費が膨らみ続ける、という構造の指摘を含んでいます。財源があるから続けられ、続けるからまた財源が要る。この循環を止めるには財源を断つしかない、と。予算をつけたから事業が終わらなくなる、という現象は、いまの組織でも起こります。撤退させたいなら、撤退を説くより予算を断つほうが速いことがある。
この章句が説くこと
遠人服せざれば文徳を修めて之を来たす長策に非ず利官を張る長期視点財政統治
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人生を、一行の式にしてみた。
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