塩鉄論 / 論儒篇
御史曰:「伊尹以割烹事湯、百里以飯牛要穆公、始為茍合、信然與之霸王。如此、何言不從?何道不行?故商君以王道說孝公、不用、即以強國之道、卒以就功。鄒子以儒術干世主、不用、即以變化始終之論、卒以顯名。故馬效千里、不必胡、代、士貴成功、不必文辭。孟軻守舊術、不知世務、故困於梁宋。孔子能方不能圓、故饑於黎丘。今晚世之儒勤德、時有乏匱、言以為非、困此不行。自周室以來、千有餘歲、獨有文、武、成、康、如言必參一焉、取所不能及而稱之、猶躄者能言遠不能行也。聖人異塗同歸、或行或止、其趣一也。商君雖革法改教、志存於強國利民。鄒子之作、變化之術、亦歸於仁義。祭仲自貶損以行權、時也。故小枉大直、君子為之。今硁硁然守一道、引尾生之意、即晉文之譎諸侯以尊周室不足道、而管仲蒙恥辱以存亡不足稱也。」
新字:御史曰:「伊尹以割烹事湯、百里以飯牛要穆公、始為茍合、信然与之覇王。如此、何言不従?何道不行?故商君以王道説孝公、不用、即以強国之道、卒以就功。鄒子以儒術干世主、不用、即以変化始終之論、卒以顕名。故馬効千里、不必胡、代、士貴成功、不必文辞。孟軻守旧術、不知世務、故困於梁宋。孔子能方不能円、故饑於黎丘。今晩世之儒勤徳、時有乏匱、言以為非、困此不行。自周室以来、千有余歳、独有文、武、成、康、如言必参一焉、取所不能及而称之、猶躄者能言遠不能行也。聖人異塗同帰、或行或止、其趣一也。商君雖革法改教、志存於強国利民。鄒子之作、変化之術、亦帰於仁義。祭仲自貶損以行権、時也。故小枉大直、君子為之。今硁硁然守一道、引尾生之意、即晉文之譎諸侯以尊周室不足道、而管仲蒙恥辱以存亡不足称也。」
書き下し
御史曰く、伊尹は割烹を以て湯に事え、百里は牛を飯いて穆公に要む、始めは茍合を為すも、信に然く之と霸王たり。此くの如くんば、何の言か從われざらん、何の道か行われざらん。故に商君は王道を以て孝公に說き、用いられず、即ち強國の道を以てし、卒に以て功を就す。鄒子は儒術を以て世主に干め、用いられず、即ち變化始終の論を以てし、卒に以て名を顯らかにす。故に馬の千里を效すは、必ずしも胡・代ならず、士の成功を貴ぶは、必ずしも文辭ならず。孟軻は舊術を守り、世務を知らず、故に梁・宋に困しむ。孔子は方なる能うも圓なる能わず、故に黎丘に饑う。今晚世の儒は德に勤むるも、時に乏匱有り、言以て非と為す、此に困しみて行われず。周室より以來、千有餘歲、獨り文・武・成・康有るのみ、如し言うに必ず一を參えば、及ぶ能わざる所を取りて之を稱するは、猶お躄者の能く遠きを言いて行く能わざるがごときなり。聖人は塗を異にして歸を同じくす、或いは行き或いは止まるも、其の趣は一なり。商君は法を革め教を改むと雖も、志は國を強くし民を利するに存す。鄒子の作、變化の術も、亦た仁義に歸す。祭仲の自ら貶損して以て權を行うは、時なり。故に小しく枉げて大いに直きは、君子之を為す。今硁硁然として一道を守り、尾生の意を引かば、即ち晉文の諸侯を譎きて以て周室を尊ぶも道うに足らず、而して管仲の恥辱を蒙りて以て亡を存するも稱するに足らざるなり。
現代語訳
御史が言った。「伊尹は料理人として湯王に仕え、百里奚は牛を飼って穆公に取り入った。初めは調子を合わせただけだが、まことに彼らとともに覇王の業を成した。こうであれば、どんな言葉が聴かれず、どんな道が行われないだろうか。商君は王道を孝公に説いて用いられなかったので、強国の道に切り替えて、ついに功を成した。鄒衍は儒の学で君主に売り込んで用いられなかったので、変化と始終の論に切り替えて、ついに名を上げた。だから馬が千里を走るのに、必ずしも胡や代の産である必要はない。士が成功を尊ぶのに、必ずしも文章である必要はない。孟軻は古い学術を守って現実の政務を知らなかったから、梁や宋で行き詰まった。孔子は四角にはなれても丸くはなれなかったから、黎丘で飢えた。いま後世の儒者は徳に励むが、時には物資が欠乏することもある。それを口では否とするから、行き詰まって何も行われない。周王室以来千余年、優れた治世は文王・武王・成王・康王だけだ。もし何か言うたびにそれを引き合いに出すなら、及ぶはずのないものを持ち出して称えることになる。足の立たない者が遠くのことを語れても歩けないのと同じだ。聖人は道筋を違えても帰るところは同じで、進むにせよ止まるにせよ、向かう先は一つである。商君は法を改め教化を変えたが、志は国を強くし民を利することにあった。鄒衍の説いた変化の術も、行き着くところは仁義である。祭仲が自ら身を落として臨機の処置をとったのは、時に応じたのだ。だから小さく枉げて大きく直すことを、君子は行う。いまかたくなに一つの道を守り、尾生のように橋の下で溺れる律義さを引き合いに出すのなら、晋の文公が諸侯を欺いて周王室を尊んだことも語るに足らず、管仲が恥辱を忍んで滅びかけた国を保ったことも称えるに足らない、ということになる」
解説
この章句が説くこと
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『塩鉄論』褒賢篇大夫曰く、伯夷は廉を以て饑え、尾生は信を以て死す。小器に由りて大體を虧く、匹夫匹婦の諒を為すや、溝瀆に經れて之を知る莫きなり。何の功名か之れ有らん。蘇秦・張儀は、智は以て國を強くするに足り、勇は以て敵を威すに足る、一たび怒れば諸侯懼れ、安居すれば天下息む。萬乘の主も、體を屈し辭を卑くし、幣を重くして交わりを請わざる莫し、此れ所謂天下の名士なり。夫れ智は與に謀るに足らずして、權は當世を舉ぐる能わざるは、民斯れ下と為すなり。今亡きを舉げて有りと為し、虛しきを盈つと為し、布衣穿履、深く念じて徐ろに行く、遺亡有るが若し、功名を立つるの士に非ずして、而も亦た未だ世俗を免れざるなり。
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