塩鉄論 / 散不足篇
「古者、庶人魚菽之祭、春秋修其祖祠。士一廟、大夫三、以時有事於五祀、蓋無出門之祭。今富者祈名嶽、望山川、椎牛擊鼓、戲倡舞像。中者南居當路、水上雲臺、屠羊殺狗、鼓瑟吹笙。貧者雞豕五芳、衛保散臘、傾蓋社場。
新字:「古者、庶人魚菽之祭、春秋修其祖祠。士一廟、大夫三、以時有事於五祀、蓋無出門之祭。今富者祈名嶽、望山川、椎牛撃鼓、戯倡舞像。中者南居当路、水上雲台、屠羊殺狗、鼓瑟吹笙。貧者鶏豕五芳、衛保散臘、傾蓋社場。
書き下し
古者、庶人は魚菽の祭、春秋に其の祖祠を修む。士は一廟、大夫は三、時を以て五祀に事有り、蓋し門を出づるの祭無し。今富者は名嶽に祈り、山川を望み、牛を椎ち鼓を擊ち、倡を戲れしめ像を舞わす。中なる者は南居當路、水上雲臺にて、羊を屠り狗を殺し、瑟を鼓し笙を吹く。貧者は雞豕五芳、衛保散臘、社場に蓋を傾く。
現代語訳
昔は、庶民は魚と豆の供え物で祭り、春と秋に先祖の祠を整えた。士は一つの廟、大夫は三つの廟を持ち、季節ごとに五つの祀りを行った。おそらく、家の門を出て行う祭りはなかった。いまは富める者が名高い山に祈り、山川を遥拝し、牛を打ち殺して太鼓を打ち、芸人に戯れさせ神像を舞わせる。中くらいの者でも道沿いの南向きの家や水辺の高殿で、羊を屠り犬を殺し、瑟を弾き笙を吹く。貧しい者でも鶏や豚に五種の香り物を供え、村の守り神を祀り、祭りの広場で車の覆いを傾け合っている。
解説
祭祀です。昔は門を出ての祭りがなかった、という一句が要点でしょう。祭りは家の内側の営みで、規模は身分ごとに決まっていた。それが外へ出て、名山へ祈り、芸人を呼び、太鼓を打つ催しになった。しかも富める者から貧しい者まで、規模は違えど同じ形をなぞっています。行事が家の外へ出た瞬間に、他人の目に触れ、比べられるようになる。見栄の連鎖はそこから始まります。
この章句が説くこと
蓋し門を出づるの祭無し名嶽に祈り山川を望む庶人は魚菽の祭祭祀身の丈逸脱
関連する章句
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『新論』國體上昔者、天祖肇めて鴻基を建て、位は即ち天位、徳は即ち天徳、以て天業を経綸し、細大の事、一として天に非ざる者無し。徳を玉に比し、明を鏡に比し、威を剣に比し、天の仁を体し、天の明に則り、天の威を奮ひ、以て万邦を照す。天下を以て皇孫に伝ふるに迨び、手づから三器を授けて、以て天位の信と為し、以て天徳に象り、而して天工に代り天職を治めしめ、然る後之を千万世に伝ふ。天胤の尊、厳乎として其れ犯すべからず、君臣の分定まりて、大義以て明かなり。天祖の神器を伝ふるや、特に宝鏡を執りて祝して曰く、「此を視ること猶ほ吾を視るがごとくせよ」と。而して万世奉祀して、以て天祖の神と為す。聖子神孫、宝鏡を仰ぎて影を其の中に見る。見る所の者は即ち天祖の遺体にして、視ること猶ほ天祖を視るがごとし。是に於てか盥薦の間、神人相感じて、以て已むべからず。則ち其の追遠申孝、敬身修徳、亦豈已むを得んや。父子の親敦くして、至恩以て隆し。
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