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塩鉄論 / 刺議篇

文學曰:「以正輔人謂之忠、以邪導人謂之佞。夫怫過納善者、君之忠臣、大夫之直士也。孔子曰:『大夫有爭臣三人、雖無道、不失其家。』今子處宰士之列、無忠正之心、枉不能正、邪不能匡、順流以容身、從風以說上。上所言則茍聽、上所行則曲從、若影之隨形、響之於聲、終無所是非。衣儒衣、冠儒冠、而不能行其道、非其儒也。譬若土龍、文章首目具而非龍也。葶歷似菜而味殊、玉石相似而異類。子非孔氏執經守道之儒、乃公卿面從之儒、非吾徒也。冉有為季氏宰而附益之、孔子曰:『小子鳴鼓而攻之、可也。故輔桀者不為智、為桀斂者不為仁。」丞相史默然不對。

新字:文学曰:「以正輔人謂之忠、以邪導人謂之佞。夫怫過納善者、君之忠臣、大夫之直士也。孔子曰:『大夫有争臣三人、雖無道、不失其家。』今子処宰士之列、無忠正之心、枉不能正、邪不能匡、順流以容身、従風以説上。上所言則茍聴、上所行則曲従、若影之随形、響之於声、終無所是非。衣儒衣、冠儒冠、而不能行其道、非其儒也。譬若土竜、文章首目具而非竜也。葶歴似菜而味殊、玉石相似而異類。子非孔氏執経守道之儒、乃公卿面従之儒、非吾徒也。冉有為季氏宰而附益之、孔子曰:『小子鳴鼓而攻之、可也。故輔桀者不為智、為桀斂者不為仁。」丞相史黙然不対。

書き下し

文學曰く、正を以て人を輔くるを忠と謂い、邪を以て人を導くを佞と謂う。夫れ過ちを怫り善を納るる者は、君の忠臣、大夫の直士なり。孔子曰く、『大夫に爭臣三人有れば、無道なりと雖も、其の家を失わず』と。今子は宰士の列に處り、忠正の心無く、枉がれるを正す能わず、邪を匡す能わず、流れに順いて以て身を容れ、風に從いて以て上を說ばす。上の言う所は則ち茍くも聽き、上の行う所は則ち曲げて從う、影の形に隨い、響の聲に於けるが若し、終に是非する所無し。儒衣を衣、儒冠を冠して、而も其の道を行う能わざるは、其の儒に非ざるなり。譬えば土龍の若し、文章首目具わりて而も龍に非ざるなり。葶歷は菜に似て味殊なり、玉石相い似て類を異にす。子は孔氏の經を執り道を守るの儒に非ず、乃ち公卿面從の儒なり、吾が徒に非ざるなり。冉有季氏の宰と為りて之を附益す、孔子曰く、『小子鼓を鳴らして之を攻めて可なり』と。故に桀を輔くる者は智と為さず、桀の為に斂むる者は仁と為さず。/丞相史默然として對えず。

現代語訳

文学が言った。「正しさによって人を助けるのを忠といい、邪によって人を導くのを佞という。過ちに逆らって善を差し入れる者こそ、君主にとっての忠臣であり、大夫にとっての直言の士である。孔子は言った、大夫に諫争する臣が三人いれば、たとえ無道であってもその家を失わない、と。いまあなたは属官の列にありながら、忠正の心がなく、曲がったものを正せず、邪を匡せない。流れに従って身を置き、風になびいて上を喜ばせている。上が言うことはとりあえず聴き、上が行うことは曲げてでも従う。影が形に従い、響きが音に従うようで、ついに是非を判じることがない。儒者の衣を着て儒者の冠をかぶりながら、その道を行えないのは、儒者ではない。たとえば土で作った竜のようなもので、模様も頭も目もそろっているが、竜ではない。葶藶は野菜に似ているが味が違い、玉と石は似ていても種類が違う。あなたは孔子の経を握り道を守る儒者ではなく、公卿に面従する儒者である。私の仲間ではない。冉有が季氏の家宰となって取り立てを増やしたとき、孔子は言った、諸君、太鼓を鳴らして攻めてよい、と。だから桀を助ける者は智とはされず、桀のために取り立てる者は仁とはされない」。丞相史は黙り込んで答えなかった。

解説

「土竜」の一句が鋭い。土で作った竜は、模様も頭も目もそろっているが竜ではない。**形が揃っていることと、そのものであることは別だ**、と。そして冉有の例を出します。孔子の弟子でありながら季氏のために取り立てを増やしたとき、孔子は「太鼓を鳴らして攻めてよい」と言った。同じ学派の内側にいるからこそ、より厳しく問う形です。丞相史はここで黙りました。作法を説いた人が、中身を問われて答えられなくなっています。

この章句が説くこと

土竜は文章首目具わるも竜に非ず流れに順いて身を容れ風に従いて上を説ばす桀の為に斂むる者は仁と為さず実質迎合忠誠

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